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照国神社
てるくにじんじゃ
鹿児島県鹿児島市照国町19−35
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旧別格官幣社 |
指宿方面からの225号線の突き当り、城山の麓に境内がある。
ここから3号線が始まり、九州を縦断する。
年末の日曜日のせいか、参拝客が多い。
境内に入ると、祭神像にも変えられる。
社殿が薄桃色で、湊川神社を思い出した。雰囲気がよく似ている。
神門をくぐると正面に拝殿。
拝殿の後方に流造の本殿がある。
社殿の左手に、末社・保食神社が鎮座。保食神社の脇に御神水がある。
さらに左手に狭い道が続き、奥に水神の小さな石が祀られている。
参道脇に、石祠や山神・水神と刻まれた石碑が並び、邪鬼までいた。
祭神は、島津家第二十八代・幕末の薩摩藩主。
安政五年(1858)七月、五十歳で生涯を閉じた。
その後、文久三年(1863)朝廷より従三位権中納言を賜った。
同年五月十一日、照国大明神の神号が授けられ、城西南泉院の地に一社を創建。
元治元年(1884)十二月十九日、鎮座祭を執行し、照国神社と号した。
明治六年県社に列し、明治十五年別格官幣社に列格した。
社前が、家(福岡)の近所を走る3号線の始まりなので、ちょっと感動。
このまま家まで、3号線を走破しようと決意して出発したが
途中で飽きたので高速に乗った。
ランドマークの大鳥居 |
境内の祭神像 |
神門 | 神門から拝殿 |
拝殿 |
本殿 | 社殿 |
御神水 | 末社・保食神社 |
水神への参道にあった邪鬼 |
水神への参道 | 水神への参道 | 水神から参道 |
参道脇に石祠 | 水神 |
照国神社 旧別格官幣社 鹿児島市山下町 鹿児島本線 鹿児島駅より一、二粁 祭神 照国大明神(島津斎彬公) 例祭 一○月二八日 神紋 丸に十 本殿 鉄筋流造 一五坪余 境内 六一九四坪 攝末社 一社 宝物 祭神御筆 懐紙 掛物、源頼朝御筆 氏子 八千戸 崇敬者 一○万人 神事と芸能 七種詣(正月七目)、夏祭六月燈(旧六月一六日) 由緒沿革 祭神は文化六年九月御出生、安政五年七月薨去さる。文久二年城西南泉院の郭内に社地を撰定、元治元年社殿竣工、照国神社と称し、明治六年県社、同一五年別格官幣社に列格、戦災後昭和三三年現社殿を造営以て今日に至る。幕末内外多事多難の時克く国家の前途を洞察して対処せられ、尊皇尽忠を基として学問を奨励し、又西欧文明導入に意を用いられた。安政元年七月一一日は公の創案に依り日章旗を総船印とする旨の布達のあった日で、即ち国旗誕生制定の記念日である。(神社本庁別表神社) −『神社名鑑』− |
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