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行相神社
ゆきあいじんじゃ
長崎県対馬市豊玉町田字船蔵1059
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式内社 對馬嶋上縣郡 行相神社 |
長崎県対馬市にある。
上対馬の西側、豊玉町の田に鎮座。
382号線から北西に1Kmほど入った場所。
もう少し進むと、田ノ浦の海に出る。
道路脇の丘の上が境内。
境内入口の鳥居をくぐって参道を進み、
もう一つの鳥居をくぐると、上に続く階段。
その階段を登ると、もう一つの鳥居があり
さらに階段を登ると社殿がある。
参拝した時は、
参道階段の横が、土砂崩れしたような感じだった。
式内社・行相神社の論社の一つ。
「行相」の社名に関して二説ある。
・道の行き会う場所に位置する。
・勒負(ゆきおい)。『津島紀事』に「勒負神社」と記され、武神。
神社明細帳には、
「本社の鎮座地は対馬島の中央西海岸の良港にして
神代海神の神蹟なり」とある。
また『對州神社誌』には
「王子若宮、由緒不知」とあるのみ。
境内の社殿は、比較的新しいようで、
拝殿の後方には、屋根に千木を載せた
流造の本殿がある。
入口鳥居 |
参道鳥居 | 階段上の鳥居 |
階段上から参道 |
社殿 | 本殿 |
行相神社の祭神と由緒 祭神 皇孫命、大己貴命(旧村社田船蔵鎮座) 由緒 大己貴命天下を経営したまいて鳥獣昆虫の災をはらうため禁圧の法を創め、また百薬草を製して医薬禁圧の法を伝えられた神である。天下四方の蒼生この神の恩頼をこうむる。そのために対馬中央西海岸の良港にして古代海神の神蹟に祠を建て鎮守の神として祀る。「延喜式神名帳」に記載されている上県郡行相神社はこの社である。本社鎮座の地は寛元四年以前はもと上県郡に属していた。また清和天皇貞観十二年三月五日には従五位上に叙せられ神事造営は上より行われ国司国主の崇敬篤く社領を所有した神社である。明治七年六月社格村社に列位され大正四年十一月十二日には神饌幣帛料供進神社に指定された。 −境内由緒− |
【 行相神社 】