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能理刀神社
のりとじんじゃ
長崎県対馬市上対馬町大字西泊字横道218
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式内社 對馬嶋上縣郡 能理刀神社 |
長崎県対馬市にある。
上対馬の玄関口、比田勝港のそば、
権現山の中腹に鎮座。
民家の狭い路地の奥に参道の階段がある。
港の道路から見上げると、社殿の屋根は見えるのだが、
その参道の入口が分りにくかった。
参道の階段を登ると、寺の横に鳥居。
鳥居の両脇には、石塔が建っている。
そこから、さらに朽ちた急な石の階段を登ると社殿がある。
サッシの拝殿の扁額には「三所大権現」と記されている。
拝殿の後方、ちょっと高い場所に流造の本殿がある。
参拝は十月の休日の午後。
港の近く、潮の香のする神社だった。
当地は、神功皇后三韓征伐の時の行宮の跡。
亀卜の神を祀ったという。
当社社号の「能理刀」は、祝詞なのだろう。
拝殿の扁額にあるように、
三柱の神を祀る、三所権現と称した古社。
蒙古軍襲来の際、山の中腹より
大石が三つ、落ちて来て賊船を打破したという。
『對州神社誌』には、氏神熊野権現とあり、
昔、老人夫婦が熊野三所大権現神を小舟に乗せ奉りて
この部落の西北隣浜に来て祀ったという伝承がある。
式内社・能理刀神社の有力な論社だという。
本殿の左に境内社らしき祠が一つ。
拝殿内部の幕には、桐紋が染められていた。
参道階段 | さらに朽ちた階段 | 階段上から |
鳥居 |
参道鳥居 | 拝殿 |
本殿 |
境内社 | 拝殿内部 |
境内から比田勝港 |
能理刀神社由緒記 鎮座地 対馬国上対馬町大字西泊字横道二一八番地 神社名 能理刀神社(旧指定村社) 御祭神 宇麻志麻治命 天児屋根命 雷大臣命 例祭日 夏祭旧暦六月三日 秋祭旧暦十一月三日 元旦祭一月一日 新年祭二月十七日 新嘗祭十一月二十三日 神社進展 江戸時代現在の能理刀神社は熊野三所大権現社であった承知十年九月十九日従五位下に叙せられる貞観十二年従五位上を授かる明治七年六月社格村社に列せられ大正三年六月十六日指定村社昇格神饌幣帛料供進神社に指定さる 境内社 合祀 龍神神 祭神 海童神 観音不動神 由緒 大古昔老人夫婦熊野三所大権現神(現在能理刀神)を小舟に乗せ奉りてこの部落の西北隣浜に来り殿を造り奉り留りそこに榎木があって衣掛けといった後に現在のこの高台の地に遷宮奉りて老人夫婦は行方知れずこの地は神功皇后の新羅征伐の海上安全戦捷祈願行宮の古跡の社であり延喜式神名帳に能理刀社はこの近郷の古名社として名記されている亀卜所(占祈祷)の神霊神をまつる古社でこの権現山は古神道の霊神山で中世に至り熊野系の修験道者山伏が入山して修練した亀卜所であったとされている昔当浦合外目の浜にこの神を最初着給ふ浜辺丘に朝日不出前に里人至れば年頃六十才計の御形にて冠を着し至り高貴の官人座給ひて是の貴官人を奉見する里に帰り不幸あり其後貴官人行方所不明それよりこの浜辺丘に里人朝至らず 文永十一年蒙古軍襲来の際霊神山の中腹より大石(神石)三ツ落来りて異賊船は打破給ひて州浜里人を御助給ひし由来記は隣の丘に建立す −境内由緒− |
【 能理刀神社 (西泊) 】