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安里八幡宮
あさとはちまんぐう
沖縄県那覇市安里124
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沖縄県那覇市にある。
モノレール安里(あさと)駅の北500mほど。
西隣が保育園、というより保育園の敷地内にあるような感じ。
狭い道路の曲がり角に階段があり、階段上に南向きの鳥居。
正面に沖縄独特の瓦をのせた社殿がある。
社殿の前には、平成八年の復元記念碑。
琉球八社の一つ。
琉球八社とは、明治以前琉球国府から特別の扱いを受けた八つの官社で、
波上宮・沖宮・識名宮・普天満宮・末吉宮・八幡宮・天久宮・金武宮のこと。
当社は八社の中で唯一の八幡宮。他の七社は熊野権現が祀られている。
社伝によると、
天正年中第六代国王尚徳王の時代に、
鬼界島征討に際し、出現した老人の言葉に従い、
弓矢を射て鳥を落とし、犬を先兵として出陣した。
海上に小鐘が浮かんでいたので神霊として、
弓を射た場所に祀ったのが当社の始めだという。
八幡宮なので、神紋は三つ巴。
沖宮が明治41年、
那覇港桟橋築港工事のため、安里八幡宮隣域に遷座していたが、
大戦により焼失したらしい。
当社も延焼し、しばらく仮殿に祀られていたようだ。
境内入口 | 鳥居から境内 | 復元記念碑 |
境内 |
社殿 | 社殿内部 |
八幡宮
八幡宮、那覇市安里鎮座、祭神、神功皇后、応神天皇、玉依姫、例大際、旧九月九日由緒 琉球国時代の官社、琉球八社中唯一八幡神を祀る社で、古棟札の文に伝へられるところによれば、天正年中第六代国王尚徳王の時代に、鬼界島を討たせたことがあったが、小島ながら堅固に守って従わなかった。その時に村の老人が奏上した。王が自身で征討せられよ。犬を先にし兵を後にして行かれよと。王は弓矢八幡に誓って鳥を射たところ、みごとに射止め勇んで出帆した。海上に小鐘が浮かんでいた。王は神に祈って把り上げ、喜んで神霊の筥をつくった。かくて本意を遂げて帰国し、かの鳥を射止めた場所に霊社を建て、八幡大神宮と号して祭ったという。神威赫々、上下の尊信篤く、琉球歌謡「上がり口説」にも謳われて有名であったが、昭和十九年十月戦炎にて炎上。戦後、昭和三十七年仮殿を建て現在に至る。 −『平成祭データ』− |
【 安里八幡宮 (那覇市) 】