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印鑰神社
いんやくじんじゃ
宮崎県西都市三宅2844

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宮崎県西都市。西都市運動公園から南へ1Km程。
「川路地区学習等供用施設」とある建物の横にある。
公民館のようなものだが、神社境内に建設されたものだろう。
神社境内が、このような公共施設の建設場所になることは多い。
施設横の道が参道になっおり、社殿がある。
「印鑰」とは、印鑑(政治権力)と蔵の鍵(財政)の意味。
その「印鑰」を管理していた所を祀ったのが印鑰神社となる。
これは国府に限った話ではなく、さらに小さな行政区画でも存在するし、
大きな神社内にも存在する場合がある。
社伝によると、成務天皇の朝、
当地に日向国府が設置され、その当時の創建と伝えられている。
喜田貞吉により、日向國総社と想定された神社。
「神道事典」では、印鑰神社と総社は、機能的に違うものであり、
印鑰神社が総社になったものはない、と否定する。
鳥居 ![]() | 鳥居扁額 ![]() |
境内 |
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社殿 ![]() | 本殿 ![]() |
当社は成務天皇の朝、此地に国府が設置さ
れ、その当時(一三一〜一九〇)の創建と伝
えられている。 「日向一ノ宮印鑰大明神」と往時より尊崇さ れ、日向一ノ宮の額面を現存している。創建 の由緒正確なるも明細帳脱漏のため明治四十 一年七月三十一日無格社として編入、ご神体 には印および、鑰を奉載すると伝えているが 確定できない。印鑰は、国衙の印やその不動 倉などの鑰(かぎ)または神社・神主家の印 などで、それらの印は国衙領や神領文書に捺 され、その鑰は穀倉開閉に重視された。その ための印鑰を印殿に祀る印鑰神社が国府近く に建立されており、本社もその一つであろう。 −『宮崎県神社誌』− |
【 印鑰神社 (西都) 】
