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國造神社
こくぞうじんじゃ
熊本県阿蘇市一の宮町手野2110
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式内社 肥後國阿蘇郡 國造神社
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57号線宮地の交差点から北へ約5Kmの手野にある。
国造の読みに関しては、クニツクリ・クニノミヤツコ・クニツコなど
色々あるようだ。本居宣長は「クニツクリノ」と訓じている。
周囲には多くの古墳が点在する。
上御倉古墳・下御倉古墳は国造夫妻の墳墓とする説もある。
阿蘇氏は、火山神である健磐龍命を前面に押出しながら、
祖先神であり農業神である国造大明神を篤く信仰していたようだ。
社伝によると、
第十代崇神天皇の御代、阿蘇初代国造と定められ、
同十八年御子・惟人命(彦御子神)に勅せられて、
阿蘇国造の神として、御居住の地(現在地)を卜して鎮祭せられという古社。
阿蘇国造の租神を祀った神社で、式内社・國造神社に比定されている。
阿蘇神社の北にあるため、通称は「北宮」。
祭神は、阿蘇神社諸神殿にも祀られている国造大明神。
相殿に妃神や御子神を祀っている。
第一御子の彦御子明神は、阿蘇神社の大宮司の祖。
阿蘇神社の五の宮に祀られている。
三ノ宮の高橋神は、仁徳天皇期に神社背後の高橋山から、
四ノ宮の火宮神は、反正天皇期に社前を流れる杖立川岸地獄田から
出現したという伝承がある。
明治五年県社に列し、明治十年阿蘇神社の摂社となった。
境内は広く、自然も多い。
全国的にも珍しい鯰を祀った宮もある。
鯰宮 健磐龍命が阿蘇の火口湖を立野の火口瀬を
蹴破り干拓した時に大鯰が出現。健磐龍命は「お前が居ては人々が住めない」
というと、鯰は頭をたれて去って行った。その鯰の霊を祀る。
参道脇の夫婦石 |
鳥居 | 境内 |
拝殿 | 拝殿内部 |
本殿 | 本殿 |
水神社 | 門守社 | 鯰宮 |
鯰宮の鯰 | 白蛇の桧 白蛇が出現し見たものは開運 |
国造速瓶玉命お手植えの杉 昔は男杉・女杉2株だったが今は女杉のみ |
由緒・沿革 御主神 国造速瓶玉命は、肥後一ノ宮阿蘇神社の主神 健磐龍命の第一の御子神 にして、延喜の制式内社(官社)に列せられて、阿蘇神社と同格の御社であり、 父神健磐龍命の聖業を嗣がれ、阿蘇の開拓に水利にと国土開発の大業をなされ、 庶民に農耕を教え畜産に植林に万幸を与え衆民を愛撫し、仁徳を施された。 この御聖徳と御功業により、第十代崇神天皇の朝に、阿蘇初代国造と定めら れ、同十八年(紀元五八一年)御子惟人命(彦御子神)に勅せられて、阿蘇国 造の神として、御居住の地(現在地)を卜して鎮祭せられ、茲に二、〇〇〇年 以上の歴史ある古いお社である。 此の間上歴朝の尊崇はもとより、下万民の敬仰する所で、国司、藩司の崇敬 も亦篤く、中世以降に於ても肥後の大守細川氏も阿蘇神社と共に造営に、祭典 に、代々藩費を供進せられ、現在の社殿は寛文十二年、細川五代綱利公の御造 営のものである。 古来、農神としての信仰厚く、五穀豊穣に晴に祈り、雨に乞ひ、又害虫消除 に頗る霊験新かであり、近郷近在より其の時折りに祈願参拝も多く、近年には 阿蘇の古名社として、遠来よりの参拝も沢になりゆき之大神の偉大なる御恩頼 を渇仰する故に外ならない。 明治七年十月には県社に列せられた。 −境内案内より− |
【 阿蘇國造神社 国造神社 】