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志多留能理刀神社
したるのりとじんじゃ
長崎県対馬市上県町伊奈字向原381  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 對馬嶋上縣郡 行相神社
旧村社

御祭神
雷大臣尊 霊町命

長崎県対馬市にある。
上対馬の西側、伊奈に鎮座。
382号線から北西に4Kmほど入った場所。

川の河口部にあるのだが、場所が分りにくい。
住所を頼りに、かなりの時間探したが見つからず
畑仕事の地元の方に聞いた。
山の麓の藪(林)の中に埋もれている。
これでは分からない。

道からは、雑草に遮られて見ることはできない。
雑草を回避して歩いていると、参道を発見。
参道の奥に、小さな鳥居が見える。

鳥居は木製で、社殿は一見すると小屋のような感じ。
サッシの窓から中をのぞくと、「能理刀神社」の名前があった。

式内社・行相神社の論社の一つ。

『對州神社誌』には「熊野権現」と記され、
卜部の祀る官社であったという。

式内社・伊奈久比神社のある山の麓にあり、
『大小神社帳』によれば、伊奈久比神社は、当社の末社であったらしい。
昔は、伊奈久比神社よりも当社の祭祀の方が盛んであったようだ。

対馬では、詳細地図が手に入らず、地元の方に聞く事が多い。
そのほとんどが、最初に聞いた一人で解決する。
氏神・鎮守への関心の高さに感服する。


境内

鳥居

拝殿

拝殿内の木札

本殿

 伊奈の熊野権現(志多留能理刀神社)が、卜部の祭る 官社であつたことは『対馬神社誌』にもこれを伝へてゐ る。式内社として誰もが認めてゐる「ほのむね明神」(伊 奈久比神社)より、この熊野権現の祭祀が盛んであつたか ら、当社が式内社であつた可能性は大きいはずだが、適当 な考定をしたものがなく、社運衰退して現在に至つた。こ れを式内の行相神社に見立てることは、かならずしも不当 ではないが、しかしそれを論証する資料は乏しく、積極的 にこれを支持することは難しい。

−『式内社調査報告』−


ところで、上記の『對州神社誌』を復刻した
『対馬の神道』を見ていると、気になる記述があった。

『式内社調査報告』では、
当社は『對州神社誌』に「熊野権現」と記されている、とある。

『対馬の神道』を見ると
確かに『對州神社誌』の伊奈村の項にそのように載っているのだが、
『對州神社誌』の志多留村の護王大明神の項に、
『対馬国大小神社帳』による注釈として
志多留護王神社であり、旧号能理刀神社。
『対馬州神社大帳』による注釈として、五王社。
『神社明細帳』による注釈として、村社志多留能理刀神社と記されている。

整理すると、
志多留の護王大明神は、旧号を能理刀神社と称し
現在は、五王神社か志多留能理刀神社である
ということだろうか。

式内社・行相神社の論社は、伊奈の志多留能理刀神社であると思うが
気になったので、志多留の五王神社にも行ってみた。


志多留の五王神社

鳥居

社殿

また、行相神社の論社としては、
田の行相神社、伊奈の当社の他に、
仁田のサエノカミを上げるものもある。

佐護から仁田方面、伊奈方面へ向う分かれ道、
山中の川辺に祭られている小祠であり、
『津島紀事』には「本居神社」とある道祖神。
サエノカミを地元では「セーンカミ様」と呼んでいる。

現地で小祠を探したが見あたらず、
地元の方に聞いた「セーンカミ様」は石仏だった。
辰ノ口の堀切にあり、分かれ道、川側、道路脇に祀られている。
周囲には古い木材や瓦が落ちていた。昔は祠だったのかもしれない。
が、自信はまったくない。


セーンカミ様か?これ。


【 志多留能理刀神社 】

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