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新田神社
にったじんじゃ
鹿児島県薩摩川内市宮内町1935−2
可愛の山の樟の大樹の幹半ば うつろとなれど広き蔭かな
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薩摩川内市にある。
川内川の北。3号線から少し西へ入ったところ。
川内川の側に参道入口があり、参道が北へ延びている。
境内入口に大鳥居があり、橋を渡ると参道の階段。
階段の両脇には門守の祠。
階段を上ると、境内社が並んだ場所があり、旧鎮座地の礎石がある。
承安三年まで、ここに鎮座していたが、火災のために炎上し
神亀山上へ遷座したらしい。
さらに階段を上ると大樟があり、さらに上ると拝殿(勅使殿)。
社殿は「山」の字に廻廊で連なっており、
中央には、正面から勅使殿-舞殿-拝殿と並んでいる。
左右の廻廊奥にも摂社がある。
創祀年代は不詳だが、
古文書によると、貞観元年に再興されたという古社。
一説には、聖武天皇神亀二年の創立とも。
また、元慶六年(883)藤原純友の乱に際し国家鎮護を祈って、
五所八幡宮の一としてはじめて社殿を建てたとも。
よって、近年まで「八幡宮」だったそうで、祭神も変化しているようだ。
薩摩国一の宮として崇敬された大社で、もと国幣中社に列した神社。
本殿左、西廻廊には武内神社(彦太忍信命)、
本殿右、東廻廊には四所宮(彦火火出見命 玉依姫命 鵜草葺不合尊 豐玉姫命)。
背後の山は主祭神邇邇杵尊の御陵、可愛御陵がある。
雨の日に参拝した時に撮影した、参道入口 |
境内入口の大鳥居 |
門守・櫛磐間戸神 | 橋の奥に参道階段 | 門守・豊磐間戸神 |
参道途中にある境内社 | 承安三年までの鎮座地に礎石 |
早風神社 級長津彦神 級長津姫神 | 中央神社 大山祇命 | 高良神社 天鈿女命 |
がらっぱ大明神 | 参道階段、上に拝殿 | 大樟 |
社殿正面 |
本殿 | 舞殿 |
本殿左(西廻廊)の武内神社 | 本殿右(東廻廊)の四所宮 |
社殿右手、社務所前の道を進むと、 邇邇杵尊の可愛御陵 |
廿四社 廿四神 御伴神 | 稲荷社 稲荷大神 |
興玉神社 猿田彦神 | 参道階段下り | 車祓い所の祠 |
新田明神 新田(川内市宮内町)にある。 祭神三座 神功皇后・応神天皇・武内大臣 筑前箱崎と同じ。祭 八月十五日(『国花記』による) −『和漢三才図会』− 新田神社(川内八幡)旧国幣中社川内市宮内町 鹿児島本線 川内駅より三粁 祭神 天津彦彦火瓊瓊杵尊(相殿)天照大神 天忍穂耳尊 例祭 九月一日 本殿 入母屋造漆塗 三九坪 境内 二五、一四六坪余 摂未社 一九社 宝物 銅鏡参面(重文)太平寺鬼瓦、薩摩国分寺瓦、徳川家及島津家旗各弐旒づつ、八幡宮吉印等 崇敬者 四○○○人 神事と芸能 武射祭(一月七日)早馬祭(三月二一日)、御田植祭(六月二日)、田の神舞、奴振 由緒治革 当社は神代の昔既に社殿を参道石階中段に設け祭祀を厳修したという。永万元年の古文書に貞観年中再興と見え又三国神社伝記に聖武天皇神亀二年御創立とあり、安元二年宣旨を下し、山頂現在の地に遷御あり。慶長六年仝七年に至り時の藩主島津義久仝義弘之を全部改造し嘉永三年藩主島津斎興改築(拝殿勅使殿を除く)の儀ありて今目に至る当神社は往昔より歴代皇室の御尊崇厚く殊に島津氏封を薩摩国に受くるに及び当神社を藩内の首位に列し社禄高八六七石を寄進し御造営の如きも常に国の正税を以てせられた。明治一八年国幣中社に列せられた。(神社本庁別表神社) −『神社名鑑』− 新田神社 鹿児島県川内市宮内町。旧国幣中社(現、別表神社)。 新田八幡宮とも川内八幡宮ともいう。社の背後の山は主祭神邇邇杵尊の御陵、可愛御陵で、亀の形をしていることから神亀山とも八幡山とも呼ぶ。社はその御陵の地に尊を祀るのを起源とし、天照大神・天忍穂耳命の二皇祖神を合祀する。鎮座地は『和名抄』の新多郷で、東南は高城郷に接し、この両郷に薩摩の国府・国分寺があった。国司初任の時は先ず当宮に奉幣して神拝の後、国務を執るのが例であった。元慶六年(八八三)藤原純友の乱に際し百王守護・国家鎮護を祈って、五所八幡宮の一としてはじめて社殿を建てたと記す古書がある。御陵に発し、八幡宮を配祀したわけである。『記』『紀』の神話は日向三代の皇孫の御陵もまた日向とするが、本居宣長らはその三陵は大隅・薩摩国にあって日向国にないとしている。暦応四年(一三四一)の『島津文書』には薩摩国一の宮と見え、古くは一宮八幡と呼ぶことがあった。国内の宗祀として枚聞神社とその首班を争ったことがあったのである。藩主島津氏は藩内第一の社と崇敬し、明治初年に国幣中社に列した。また社殿を全面的に改築し、本殿向拝の柱には地方色豊かな彫刻を付してある。例祭九月一五日。放生会の神幸があり、古くは社の下の忍穂井川に架かる石橋で舞楽を行った。また旧五月六日、今は入梅の日に行う田植祭に宮内町の青年らの奴踊がある。ばりんと呼ぶ馬簾状の竹竿を田植歌に合わせて振りながら踊り、田植の後、この奴連は川に入って泥まみれになって田植を祝う。社宝に古文書類が多い。永仁二年(一二九四)在銘の古鏡は重要文化財である。−『神社辞典』− |
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