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普天満宮
ふてんまぐう
沖縄県宜野湾市普天間1−27−10
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旧無格社 |
沖縄県宜野湾市にある。
330号線沿いに南面し、米軍普天間キャンプのそば、
というより、米軍より境内地が返還されるまでは一部だった。
南向きの鳥居から境内に入ると、
もう一つ鳥居があり、その正面に拝殿がある。
拝殿の後方、通常の神社では本殿のある場所に社殿。
その後方に、有名な普天間洞窟の入口がある。
社名に関して。鳥居扁額には「普天間宮」とあり、
各資料でも普天間宮だが、境内の案内や由緒略紀では「普天満宮」。
普天満権現とも称していた神社。
琉球八社の一つ。
琉球八社とは、明治以前琉球国府から特別の扱いを受けた八つの官社で、
波上宮・沖宮・識名宮・普天満宮・末吉宮・八幡宮・天久宮・金武宮のこと。
往昔、普天間洞窟に琉球古神道神を祀ったことに始まり、
尚金福王から尚泰久王の時代(1450〜60)に、熊野権現を合祀したもの。
ちなみに、普天満宮は熊野那智、末吉宮が熊野新宮、識名宮が熊野本宮にあたる。
昔、首里桃源に、世にも美しい乙女がおり、島中に評判となっていたが、
家に籠もって機織ばかりをし、誰にも、その姿を見せることが無かった。
父と兄が、数日前に船で出航していたある日、
家でまどろんでいる時に、父と兄が溺れそうになっている夢をみた。
乙女は急いで片手で兄を助け、もう一方の手を父にのばした時に、
部屋に入ってきた母に名を呼ばれ、夢から覚めてしまった。
その後、父と兄が遭難したという知らせがあり、
兄は奇跡的に生還したが、父は戻らなかった。
乙女の妹の夫が、美しいという乙女の顔を見たくて、
妻に頼み、妻が乙女に挨拶している部屋を覗いてしまった。
その途端に、乙女は家を飛び出し、末吉の森を抜け、
神々しい神の姿となって、普天間洞窟に籠もられたという。
これが普天間女神の伝説。
昔、中城間切谷屋村に貧乏だが、まじめで仲の良い百姓夫婦が住んでいた。
ある年、作物がとれず年貢を納められないので、
妻は首里の殿内奉公に出ることになった。
時々、髪を切って髢として売り、普天満宮へお供えを繰り返していた。
九月のある夜、いつものように普天満宮へお参りに行くと、
一人の老人が現われ、
「大切な品を持っているのだが、用を足してくる間、ちょっと預かってくれまいか」
断ったが押し付けられ、やむをえず品物を預かって待ったが、
老人はなかなか戻ってこない。
仕方が無いので、品物を持ったまま首里に戻ってしまった。
その後、何度も、品物を持って、老人に会った場所へ行くが老人は現われず。
老人に会って品物を戻したい、老人に会わせて欲しいと普天満宮で祈り続けた。
ある晩、夢にその老人が現われ、
「我は熊野権現なり。汝等は善にしてその品を授けるものなり」。
毎晩同じ夢を見るので不思議に思い、その品物を開けて見ると、
中には黄金が入っていた。これが普天間仙人の伝説。
境内入口を撮影しようとカメラを構えたとき、
左手から、若いアメリカ人(軍人?)らしき黒人と
若い日本女性らしきカップルが歩いてきた。
カメラを構えている僕を見て、そのアメリカ人は足を止め、
僕が撮影を終えるまで待っていた。
撮影を終えて、こちらが軽く会釈すると、会釈を返し歩き始めた。
神社境内でカメラを構えていると、しばしば前を横切られることがある。
そんなときは、構えを解き、通り過ぎるのを待つようにしているが、
全然、こちらを気にせずに、堂々と横切るのは年配の方が多い。
特に、集団でいる女性や七五三の家族は、まったく気付いてすらくれない。
だから、今回のように接してもらえると、非常に感動してしまう。
境内入口 | 鳥居扁額 | 境内 |
境内 |
本殿と洞窟入口 | 拝殿 |
洞窟に入るには、授与所で申し込み、住所氏名を記す。
洞窟入口まで巫女さんに案内されるので、一人で洞窟へ。
見学が終わると、授与所に一声掛けて終了。
洞窟は全長280mの鍾乳洞だが、
公開されているのは、入口部分の4・50mほど。
この部分はライトアップされており、神秘的な雰囲気。
入口から少し階段を降りると奥宮遥拝所と思われる祭壇がある。
右へ行くと、オレンジのライトに照らされた短い洞窟があり、
閉鎖されているもう一つの洞窟入口に突き当たる。
左へ行くと、グリーンのライトに照らされた鍾乳石。
すぐに行止りになるが、少し小さな穴があり、奥にまだまだ続いている。
この先、200mほどに奥宮があるのだろう。
ここから先は、照明が無く、入るには許可が必要。
地図で確認すると、正確にはわからないが
普天間キャンプの下へ入り込んでいる感じだ。
洞窟内の奥宮遥拝所 |
鍾乳石 | 洞窟 | 洞窟 |
普天間宮
宜野湾市普天間鎮座、祭神、伊弉冉尊、速玉男命、事解男命、天照大御神、家都御子神(日の神、竜宮神、普天満女神、他)例大祭、旧九月十五日由緒 当宮は別称普天満権現ともいい、琉球八社の一つである。創建については往昔、普天間の洞窟に琉球古神 道神を祀ったことに始まり、尚金福王から尚泰久王の頃(一四五〇〜六〇年)熊野権現を合祀したと伝えら れている。現存する古い記録には「普天満権現」碑(一五九〇年)がある。琉球神道記(一六〇五年)琉球 国由来記(一七一三年)琉球国旧記(一七三一年)にも当宮関係が記載されている。縁起伝承には首里桃原 に女神が出現されて後に普天間の洞窟に篭られ、さらにその後、洞窟より仙人が現れて「我は熊野権現なり」 と御神威弥高に示された。御神徳については中城間切安谷屋村の百姓夫婦や美里間切東恩納村の屋号「当ノ屋」 に黄金(神徳)を授け苦難をすくった。「当ノ屋」ではそのお礼参りが三百年余、現在まで続いている。 尚、船舶の安全、大漁、五穀豊穣、交通安全、会社隆昌、商売繁盛、縁結び、安産、初宮参り、学業成就等 など結びの神様(諸願成就)として当宮は参詣者も多く、特に旧暦九月は普天満参詣と言って、かつては中 山王はじめノロ、一般の人々が各地より参集し礼拝の誠を捧げた。昭和十九年に県社昇格の予定になってい たが、戦時の混乱により立消えとなった。戦前の沖縄県神社明細帳には「社格特別由緒有神社」と特記され ている。現在の社殿は戦後、県内外からの浄財により随時復興した。参道沿いにあった宜野湾並松(昭和七 年国指定天然記念物)は戦災と戦後の松食い虫の被害を受け消失した。洞窟内及び東洞口付近は遺跡となって おり沖縄貝塚時代前期後半以後の遺物が多数発掘されている。尚、二万年前の鹿、イノシシの化石なども発見 されている。平成三年八月一日付で、「普天間宮洞穴」、宜野湾市天然記念物指定。 −『平成祭データ』− |