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御勢大靈石神社
みせたいれいせきじんじゃ
福岡県小郡市大保1032  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

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式内社 筑後國御原郡 御勢大靈石神社
旧県社

御祭神
足仲彦大神(十四代仲哀天皇)
相殿 天照皇大神 八幡大神 春日大神 吉富大神(七三八年の創建者)

西鉄大保駅の東にある。集落の奥にあったが、
最近、参道を横切る道路が整備された。
ということで、下の写真は、その道路沿いにある二之鳥居になる。

式内社・御勢大靈石神社に比定されている古社。

社伝によると、神功皇后二年(202)の創祀。
仲哀天皇が熊襲征伐の折り、この地で崩御されたが、
神功皇后は、天皇の御魂代として霊石を船に積み、
三韓征伐を行った。その御魂代である霊石を祭る。

この社は、延喜式にのみ見られる神社で、正史に現れない。
その名の通り、霊石を祭っているらしい。

神紋は、祭神が仲哀天皇で、八幡系であるため、現在は三つ巴
平安末期までは、菊花菱であったということだ。

古びた鳥居が集落内にある。そこから東へ整備された参道が延びる。
二之鳥居前は整備された新しい道路があり、道路を渡って参道が続く。

拝殿と本殿は繋がった形。拝殿前に仲哀天皇御魂代の霊石がある。


一之鳥居

恵比須神

参道

猿田彦神

社頭

境内

境内

拝殿

拝殿

仲哀天皇殯葬伝説地

本殿

御魂代霊石?

天神社

秋葉神社

成末神社

粟島神社

神功皇后二年(二〇二)創建、社記・伝説に よれば第十四代仲哀天皇は熊襲征伐に当り、 橿日宮の本陣より此の地に軍を進められ大保 の里が白州で清浄であったので天神地祇を祀 り仮陣地とし軍を指揮された。偶々近臣を従 え志気を鼓舞するため戦線を廻られた折、敵 の毒矢に当られて此の地にて崩御された。皇 后は時恰も激戦中で志気の沮喪をおそれ深く 秘して仮に御殯葬申し上げた。
熊襲征伐後軍を纏めて御崩御を布告し、御霊 柩を橿日宮に移して発喪された。その後三韓 征伐に於て御魂代の石を軍船に乗せ、その石 に仲哀天皇の御鎧及び兜を着せて征途につか れ、戦勝御凱旋されて、その石を天皇の御魂 代として、大保の郷の殯葬の地に宮柱太敷立 て斉き祀られ御勢大霊石と崇められた。
今、社前にある石がこれで御剣・御衣も納め られ御本體所と称する。御勢を夫にて皇后よ りの尊親の称である。

−由緒書きより−



【 御勢大霊石神社 御勢大靈石神社 】

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