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御勢大靈石神社
みせたいれいせきじんじゃ
福岡県小郡市大保1032
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式内社 筑後國御原郡 御勢大靈石神社 |
西鉄大保駅の東にある。集落の奥にあったが、
最近、参道を横切る道路が整備された。
ということで、下の写真は、その道路沿いにある二之鳥居になる。
式内社・御勢大靈石神社に比定されている古社。
社伝によると、神功皇后二年(202)の創祀。
仲哀天皇が熊襲征伐の折り、この地で崩御されたが、
神功皇后は、天皇の御魂代として霊石を船に積み、
三韓征伐を行った。その御魂代である霊石を祭る。
この社は、延喜式にのみ見られる神社で、正史に現れない。
その名の通り、霊石を祭っているらしい。
神紋は、祭神が仲哀天皇で、八幡系であるため、現在は三つ巴。
平安末期までは、菊花菱であったということだ。
古びた鳥居が集落内にある。そこから東へ整備された参道が延びる。
二之鳥居前は整備された新しい道路があり、道路を渡って参道が続く。
拝殿と本殿は繋がった形。拝殿前に仲哀天皇御魂代の霊石がある。
一之鳥居 |
恵比須神 | 参道 | 猿田彦神 |
社頭 |
境内 | 境内 |
拝殿 | 拝殿 |
仲哀天皇殯葬伝説地 | 本殿 | 御魂代霊石? |
天神社 | 秋葉神社 |
成末神社 | 粟島神社 |
神功皇后二年(二〇二)創建、社記・伝説に
よれば第十四代仲哀天皇は熊襲征伐に当り、
橿日宮の本陣より此の地に軍を進められ大保
の里が白州で清浄であったので天神地祇を祀
り仮陣地とし軍を指揮された。偶々近臣を従
え志気を鼓舞するため戦線を廻られた折、敵
の毒矢に当られて此の地にて崩御された。皇
后は時恰も激戦中で志気の沮喪をおそれ深く
秘して仮に御殯葬申し上げた。 熊襲征伐後軍を纏めて御崩御を布告し、御霊 柩を橿日宮に移して発喪された。その後三韓 征伐に於て御魂代の石を軍船に乗せ、その石 に仲哀天皇の御鎧及び兜を着せて征途につか れ、戦勝御凱旋されて、その石を天皇の御魂 代として、大保の郷の殯葬の地に宮柱太敷立 て斉き祀られ御勢大霊石と崇められた。 今、社前にある石がこれで御剣・御衣も納め られ御本體所と称する。御勢を夫にて皇后よ りの尊親の称である。 −由緒書きより− |
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