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和多都美御子神社
わたつみみこじんじゃ
長崎県対馬市豊玉町仁位桜町1416
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式内社 對馬嶋上縣郡 和多都美御子神社 名神大 |
長崎県対馬の中央部、豊玉町にある。
382号線から少し西へ入ったところ。
集落の奥、宝満山(天神山)の中腹に境内がある。
境内入口の鳥居をくぐり、参道を登ると境内。
参拝の2週間前(1999年10月)に台風が通過。
そのため、拝殿は傾いている。
付近で作業をしていた方が「みすぼらしいでしょう」と仰っていたが、
木漏れ日の差す神域に変わりはない。と思う。
創祀年代は不詳。
式内社・和多都美御子神社の論社だが、
当社に和多都美御子神社としての伝承はない。
論社となった背景として、
昔、仁位の天神祭が盛大で、
木坂の八幡宮(海神神社)に次ぐ名社であったことから
海神神社を式内社・和多都美神社とし、当社を和多都美御子神社としたもの。
近年まで「天神宮」であった。
ゆえに境内には梅の神紋がある。
入口の鳥居 | 参道鳥居 |
台風で被害を受けた拝殿 |
本殿 | 境内社・宝満神社 |
延喜式内名神大社 和多都美御子神社 御祭神 鵜茅葺不合尊、神武天皇、應神天皇、菅原道眞公 例祭 旧暦八月二十五日 由緒 当社は仁明天皇の承知七年に官社となり延喜式神名帳に名神大と記載された名社である。 貞和五年(一三四九)筑前国大宰府より天満宮を勧請す。後当宮に合せ祭る。 当社はもと「天神宮」と称していたもので明治初期に和多都美御子神社と改称したけれども和多都美としての由緒は無いのである。しかし天神宮時代の当社は木坂八幡宮、府内八幡宮に次ぐ社格を有し、その祭禮には藩主の御名代が参詣する名社であった。往年の仁位祭とは和多都美宮でなく天神宮であったのである。 −境内由緒− |
【 和多都美御子神社 】