[HOME] > [神社記憶] > [九州地方] > |
|
比売語曽神社
ひめこそじんじゃ
大分県東国東郡姫島村5118
|
|
旧村社 |
比売語曽神 に関して以下の説がある。
・都怒我阿羅斯等が追って来た、白玉から生まれた女神
・新羅の王子・天之日矛の妻
・新羅王・波沙寝錦の妃
・大己貴の娘、下照姫命
・辛国息長大姫大目命
・真野の長者の娘、玉依姫=般若姫
国東半島の北東部、伊美港から北東へ5Kmの沖、姫島にある。
姫島村営フェリーで25分の距離。
姫島は東西に約4Kmの小さな島だが、
比売語曽神社までは、港から約3Kmの距離。
バスかタクシーで向うつもりで、車は伊美港に置いてきた。
姫島港に到着したのは、朝8時。バス停もタクシーも見あたらない。
貸し自転車など、探せばあったかもしれないが、雨の早朝。
仕方なく、歩く。
港から、少し北へ行くと、東西に走る県道に出る。
その道をひたすら東へ、道なりに進む。
景色を眺めながら40分ほど歩くと、東の海岸に出る。
そこを曲がると、「拍子水」があり、その横にある。
雨を呪いながらの到着だったが、境内の緑は瑞々しく、
しっとりとした空気。このお宮は、この天候が相応しい。
そう、境内は狭く、神社と呼ぶより、お宮という感じ。
姫島には七不思議があり、当社への途中に、
比売語曽神に関連する三箇所がある。
姫神が、使用した楊枝を土に刺したものが成長した「逆柳」。
姫神が、おはぐろをつける時に置いた猪口と筆の跡が残る「かねつけ石」。
おはぐろをつけた後、口をすすぐ水がなく、
手拍子を打つと湧き出した「拍子水」。
姫島は、古事記では「女島、亦の名を天一根」とある。
日本書紀では、垂仁天皇の御代、意富加羅国の王子
都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が追って来た
白石から生まれた姫神が、摂津を経てやってきた島。
都怒我阿羅斯等は、天之日矛と同一視されている新羅の神で、
古事記・応神記では、天之日矛は、阿加流比売という
赤玉から生まれた姫を追って来た。
このように、玉から誕生する姫の話は、朝鮮半島に多いらしい。
当社の横にある「拍子水」は、赤い酸化鉄の沈殿した水であり、
当社は、別名・赤水明神と呼ばれている。さらに、
「かねつけ石」にもあるように、鉄との関連を見る事ができる。
同一視されている阿加流比売という名も、丹生都姫を連想させる。
また、新羅王・波沙寝錦の妃に関する伝承も残っている。
神功皇后の三韓征伐によって敗れた新羅王・波沙寝錦は
自暴自棄になり、政務を投げ出し、王妃を疎んじた。
一人息子の王子は、人質として日本へ連れ去られた。
王妃は、王子に会いたいと願い、嵐の夜、国を脱走。
穴門の浦を経由して、この島へ到着した。
その後、追手を恐れ、摂津へと渡る。
この伝承では、姫神が、新羅の王子を追って来た事になっており、
都怒我阿羅斯等や天之日矛の伝承とは逆になっている。
拍子水の横、岩壁に沿って狭い境内がある。
鳥居をくぐると拝殿があり、その後方に流造の本殿。
神体は白石だということだ。これは、姫神の元の姿。
姫島七不思議の中で、三つが、姫神(のお歯黒)に関係する。
他の四つは、千人堂・浮州・浮田・阿弥陀牡蠣。
境内 |
鳥居 | 鳥居扁額 | 本殿 |
拍子水
比売語曽神が、お歯黒を付けた後、口をすすごうとしたが水が無く、
そこで、手拍子を打つと、岩の間から冷泉が湧きでたという。
境内横の拍子水 |
逆柳
比売語曽神が、柳の楊枝でお歯黒を付けた後、
柳の楊枝を池の辺に逆さまに挿したところ芽が出たという。
逆柳 |
かねつけ石
比売語曽神が、お歯黒を付けた時、
筆と猪口を石の上に置いたところ、その痕が残ったという。
かねつけ石 |
比売語曽社の由来
垂仁天皇の御代、意富加羅国(おほからのくに、今の韓国
南部)の王子都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が、ある日
黄牛に田器を負わせて田舎へ行くと、牛
がいなくなった。捜していると老翁が現
われて、「おまえの捜している牛は郡公が
殺して食った。」という。阿羅斯等は郡公
の館へ行って牛の代償を求めると、郡公
は白石を与えた。阿羅斯等が白石を持ち
帰り寝室に置くと、白石は美女になった。
阿羅斯等は大変喜んで求婚すると、美女
は忽ち消えてしまった。阿羅斯等が追い
求めると、美女は海を渡って日本国に入
り、摂津の難波を経て豊後姫島に至り、
比売語曽の神となった。
−案内板より− |