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兵主神社
ひょうすじんじゃ
長崎県壱岐市芦辺町深江本村触1616
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式内社 壹岐嶋壹岐郡 兵主神社 名神大 |
長崎県の壱岐、芦辺町にある。
郷ノ浦から芦辺へ向う道の途中から、
畑の中の道を進み、山中へ向う途中にある。
目印が無いので、言葉で説明しにくい場所。
壱岐国分寺の南東2Km、原の辻遺跡の北西2Kmの位置。
山道を覚悟していたが、社前の道は広く舗装・整備されていた。
往時は、かなり不便な場所だったことが想像できる。
ここへ来る前に、高御祖神社へ参拝し、宮司にお会いしたが、
当社の宮司も兼ねているということだ。
式内兵主神社として、現在存在しているが、複雑な経緯がある。
古号は「日吉山王権現」。
延宝四年(1676)の橘三喜の式内社調査では、
当社を聖母神社、現聖母神社を兵主神社とした。
その後、延宝七年(1679)箱崎八幡宮祠官吉野末益が異を唱え、
藩もそれを認め、聖母神社を正しく聖母神社と戻したが、
当社(日吉山王権現)は、そのまま兵主神社となってしまった。
嵯峨天皇の御代に、山城國日吉山王を勧請した。
勧請に関する伝説では、比叡山より村の卯辰の海辺一の瀬に着御し、
谷山(今の京徳の丘)に鎮座となった。
勧請の供をしたのが、京徳・甫久・大宝の三氏で社家となった。
入口の鳥居をくぐって、上り坂の参道を進むと正面に拝殿。
後方の本殿は覆殿に覆われているが、下方は開いている。
通常、拝殿は施錠されているが、社務所で作業していた方が、
「中も写しますか?」と開けてくれた。
鳥居 |
境内社 | 参道 | 社殿から参道 |
境内社殿 |
社殿 | 社殿 |
本殿の覆殿 | 拝殿内 | 覆殿の中 |
境内社 | 境内社 |
壱岐國式内名神大社
●旧村社 兵主神社 (別名日吉山王権現)鎮座地 芦辺町深江川北 祭 神 素盞嗚尊 大己貴神 事代主神 例祭日 十月二十日 境内地 八百八十四坪 〔由緒沿革〕 〔正一位兵主神社〕 一、当社は延喜式巻十神名帳に所載ノ壹岐嶋壹岐郡兵主神社名神大社なり。 一、神社帳に曰、河北村京徳ノ辻兵主神社大二十四座ノ内有、宝殿拝殿、定祭九月二十五日神主後藤淡路、宮司大河庄太夫。 一、嵯峨天皇、弘仁二年幸卯冬十月朔日平旦直に日輪の神勅を承け神代の霊璽を写し奉り。眞の神躰に象り移し奉る。 一、文徳天皇、仁壽元年正月、正六位上に叙せらる。以上神階を進められ給ふこと式内大社の例に依れり。 一、社領高二石、社殿再建毎に國主より白銀五枚寄進せらる。 一、明治九年十二月四日 村社に列せらる。 一、大正三年六月 神饌幣帛供進神社に指定せらる。 一、昭和五十三年九月 拝殿改築なる。 一、昭和六十二年五月 神殿上屋、屋根替御改修。 一、平成五年九月 社務所新築なる。 −境内案内より− |
【 兵主神社 (壱岐) 】