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香春神社
かわらじんじゃ
福岡県田川郡香春町香春733
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式内社 豊前國田川郡 辛國息長大姫大目命神社 |
福岡県田川郡にある。
香春一ノ岳の南麓に境内があり、境内入口は南向き。
周辺はセメント原料採掘のためか哀れな姿に。
境内入口の一ノ鳥居をくぐり、参道を進むと二ノ鳥居、三ノ鳥居がある。
緩やかに登る参道を進むと、回廊付き拝殿があり、その奥にも拝殿。
拝殿の後方には流造の本殿が鎮座している。
創祀年代は不詳。
もとは香春岳の一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳の麓に三社別個に祀られていたらしい。
官社に列したとき、三柱を一ノ岳麓の一社に祀られたと考えられており、
社伝によると、和銅二年(709)、新宮として創立したとある。
一ノ岳の神は辛國息長大姫大目命。
式内社・辛國息長大姫大目命神社に比定されたいる。
社伝によると崇神天皇の御代に唐より帰国し、香春一ノ岳に鎮座したという。
一名を新羅神ともいい、川原に来たために、香春神、鹿春神ともいう。
また、一説には新羅の皇子・都怒我阿羅斯等が追って来た、
白玉から生まれた女神・比売語曽神であるという。
また、一説には神功皇后のことであるという。
二ノ岳の神は忍骨命。
式内社・忍骨命神社に比定されている。
社伝によると、天照大神の第一皇子・天忍穂耳命であるという。
三ノ岳の神は豊比咩命。
式内社・豊比咩命神社に比定されている。
もとは三ノ岳の阿曾隈という所に、置絢子が祀っていたといい、
後に「高巣の森」古宮八幡宮の地に移り、さらに一ノ岳麓に遷座した。
「豊比賣」といえば、通常、神功皇后の妹・淀姫をさすが、
社伝には、「神武天皇の外祖母(母方の祖母)」とある。
ということは、神武天皇の母・玉依姫と神武天皇の伯母・豊玉姫の母、
玉依姫の父である豊玉彦の后ということになる。
さらに、「住吉大明神の御母」とあるから、玉依姫達と住吉の神(三筒男)は兄弟となる。
対馬は、海神の郷、竜宮城に喩えられ、豆酘(つつ)が筒男の語源であるとする説があるが、
山幸彦が行ったワタツミが対馬なら、すべての辻褄が合う。
また、豊比咩命を豊玉姫命とする説もあるらしい。
豊玉姫命だとすると神武天皇の伯母であり祖母ということになる。
香春三岳は天台宗との関連も深く、
各頂上には山王権現の社壇があったらしい。
拝殿前に巨石があるが、古いものではない。
昭和十四年六月三十日、山頂から落ちてきた落石らしい。
境内には幾つかの石祠や境内社が祀られている。
社名を確認したのは天福神社、諏訪神社、蛭子神社、山王神社。
また、仏像や鹿の彫刻が並んでいた。
境内には、香春三山を越える山道がある。
境内入口 | 二ノ鳥居 |
三ノ鳥居 | 参道 |
廻廊付き拝殿 |
拝殿 | 本殿 |
本殿 | 本殿右の岩 |
山王石(昭和十四年六月三十日山頂より落石) |
並んだ仏像 |
石祠 天福神社、諏訪神社、蛭神社子 | 石祠 山王神社 |
境内の石仏 | 白八稲荷大明神 |
福岡縣田川郡香春町鎮座 縣社 香春神社御由緒(略) 祭神及ビ創立 第一座 辛国息長大姫大目命 神代ニ唐ノ経営渡ラヒ給ヒ崇神天皇ノ御代御帰国香春一ノ岳ニ鎮リ給フ 第二座 忍骨命 天照大神ノ第一皇子ニシテ二ノ岳ニ鎮リ給フ 第三座 豊比賣命 神武天皇ノ外祖母住吉大明神ノ御母ニシテ三ノ岳ニ鎮リ給フ 当神社ハ前記三柱ノ神ヲ奉斎セル宮祠ニシテ遠ク崇神天皇ノ御宇ニ創立セラレ各神霊ヲ香春岳上頂三ヶ所ニ奉祀セシガ元明天皇ノ和銅二年三ノ岳南麓ニ一社ヲ築キ三神ヲ合祀シ香春宮ト尊称セラル。 延喜式神名帳ニ在ル、豊前一ノ宮六座ノ内ノ三座ナリ。明治四年九月郷社ニ列セラレ香春神社ト改称シ明治六年七月十五日県社ニ列セラレ今日ニ至ル。 −境内由緒より− |