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織幡神社
おりはたじんじゃ
福岡県宗像市鐘崎字岬224
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式内社 筑前國宗像郡 織幡神社 名神大 |
福岡県玄海町(現宗像市)。
鐘崎の港の先にある岬の小山、佐屋形山の上にある。
岬の突き当たりに赤い垣と白い鳥居があり、参道が山へ続く。
参道脇には、階段を登れない人の為の参拝所がある。
宗像大社から約5kmの場所。玄界灘に面した湾曲海岸の東に鐘崎があり、
西に宗像大社のある神湊があり、ともに名神大社である。
鐘崎の岬沖には、古くから「沈鐘」の伝承があった。
異国から渡来した釣鐘が沈んでいるという。
宗像興氏や黒田長政が引き上げようとしたが失敗した。
ところが、大正時代、山本菊次郎という人が万金を投じて
引き上げてみると、たんなる巨石だった。
参道には、その巨石が置いている。
神功皇后の三韓征伐の際、宗大臣が捧げ持った「御手長」に、
武内大臣が織った「赤白二流の旗」を付け、軍の前陣で、
振り上げ、振り下げして、敵を翻弄した。
最後に、その「御手長」を「息御嶋」に立て置いた。
この「御手長」が「異國征伐御旗杆也」。
壱岐の天手長神社は、この「御手長」に由来し、
当社は、「赤白二流の旗」を祀る社である。
社伝によれば、壹岐真根子臣の子孫がこれを祀り伝えている。
明治五年村社、明治十年宗像大社の境外摂社、
明治十五年郷社、昭和三年県社となった。
参道脇に、沈鐘として引き上げられた巨石や、参拝所がある。
森の入口に鳥居があり、さらに参道が続く。
やがて階段を登ると、社殿がある。
境内右手には、祭神が沓を残して昇天したという沓塚がある。
境内入口と佐屋形山 |
参道と佐屋形山 |
麓の参拝所 | 参道の若宮社 | 参道階段 |
社殿 |
社殿 | 社殿 |
沈鐘の巨石 | 本殿 |
祭神手植えの銀杏の子孫 | 祭神昇天の沓塚 | オガタマの木 |
社名未確認の境内社 | 白峰・稲葉・御崎、須賀社 |
織幡宮 一、祭神 武内宿祢 住吉大神 志賀大神 二、縁起 平安初期、朝廷の年中儀や制度などの事 を書いた”延喜式”の中に、日本中の神社 が記してあります。織幡宮は、筑前十九社 の第二番目に記され、宗像郡内でも、 宗像大社に次ぐ神社として記録されてい ます。 その昔、文字を持たない時代か ら、古代の人々は、山の神、海の神、岬 にも神霊を感じて航海安全を「ちはやぶ る神の岬」として祈った時代もあったと思 われますし、織幡宮は武人、武内宿祢を 鎮護国家の備えとして、交通要衝 鐘崎 に祀ったといわれています。 古文書に、 元禄八年(一六九五年)社殿造立。元禄十 六年(一七〇三年)拝殿成就と記され、古 い歴史がしのばれます。 −参道案内より− |
【 織幡神社 】