[HOME] > [神社記憶] > [九州地方] > |
|
雷命神社
らいめいじんじゃ
長崎県対馬市厳原町阿連字久奈215
|
||
式内社 對馬嶋下縣郡 雷命神社 |
長崎県対馬市にある。
下対馬の東側、阿連川沿いに鎮座。
川沿いに歩くと、「傳教大師入唐帰國着船之地」という石碑があり、
最澄が唐から帰国した地なのだろう。
その石碑の先に多くの鳥居が並ぶ。
参道を進むと、階段上に社殿。
この辺りは「オヒデリ様」という太陽信仰があるらしく、
参道の脇にも、石組みの祭祀場のようなものがあった。
「雷命」と書いて「らいめい」と呼ばれているが
古くは「イカツチノミコト」。
ただし、明治までは八龍大明神と呼ばれていた。
創祀年代は不詳。
式内社・雷命神社の論社。
祭神・雷大臣命とは、
神功皇后の審神者(サニワ)を勤めた中臣烏賊使主のこと。
『新撰姓氏録』に天児屋根命十四世孫とある。
当地が、雷大臣命の住居跡であり、亀卜発祥の地。
社殿や社殿内の幕に橘の紋が付けられている。
当社の神紋だろう。
境内社は阿恵之御子神社。
祭神は雷大臣命の御子・日本大臣命。
傳教大師入唐帰國着船之地 |
阿連川沿いの参道 |
境内入口 | 参道鳥居 |
鳥居 |
拝殿 | 本殿 |
境内社 | 祭祀場、「オヒデリサマ」? |
阿連の雷命神社の由緒として、神社明細帳には、
当社は雷大臣の住居の跡なり。「延喜式」に載する社
なり。貞観十二年正五位下を授けらる。明治七年六月村社に列さらる。
と述べてゐるが、その冒頭に、当社が雷大臣の住居の地と
いふのは、宮司の橘氏が雷大臣の後裔と伝へ、亀卜を行つ
てゐた事とも関連して、大切な伝説とされてゐる。
−『式内社調査報告』− |
【 雷命神社 】