[HOME] > [神社記憶] > [九州地方] > |
|
健男霜凝日子神社
たけおしもごりひこじんじゃ
大分県竹田市神原1772
|
|
式内社 豊後國直入郡 健男霜凝日子神社 |
祖母山山麓、神原の集落にある。
健男霜凝日子神社は、祖母山頂(1756m)に石祠の上宮、
神原集落にこの社、そして下宮、もうひとつ穴森神社で
構成されているが。ここから南西に下宮、南東に穴森神社がある。
ここは、祖母山頂上宮の遥拝所にあたる「里宮」。
もとは下宮が祭祀の中心で、当社は神幸所だった。
その後当社が中心となっており、国幣社への昇格のため整備した、
が、終戦で、それはかなわなかった。
通称は、嫗岳大明神、鵜羽明神、祖母山大明神。
明治の頃の古社図を見ると、ここから
下宮まで参道が続いていたようだ。
国幣社を目指して整備しただけに、
構えの大きいな神社だ。
鳥居 | 参道 |
二の鳥居と境内 |
神門 | 拝殿 |
本殿 | 本殿 |
本社は祖母山上の上宮、麓に近い山中に下宮、
穴森社、山麓に遥拝所という社殿があり、正式には三社殿
を含めて一社であつた筈である。大分縣竹田市大字神原
(字手ノ上)一七七二番地に鎮座してゐる遥拝所を現在は
普通本社といはれてゐる。所在地の地名は古くは豊後國直
入郡入田郷神原、又は、直入郡嫗岳村大字神原手ノ上とい
つてゐた。遥拝所より約五百メートルばかり登つた所に
「入田郷波木合村」といつてゐた村がある。ここに穴森
社、穴森神社がある。ここが平安時代から鎮座の地で重
要な社地である。遥拝所はいはゆる「里宮」の形をとつて
ゐるが、もとは神幸所であつたが、昭和十三年の頃、神社
昇格のために整備したが、終戦により國幣社になることが
できなかつた。
−『式内社調査報告』− |
【 健男霜凝日子神社 遥拝所 】