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村山神社
むらやまじんじゃ
愛媛県四国中央市土居町津根1865
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式内社 伊豫國宇摩郡 村山神社 名神大 |
愛媛県四国中央市土居町にある。
赤星駅の南500m。坂道を登った場所。
境内入口は南側だが、参道を少し北へ下ると、東向きに鳥居が立つ。
鳥居から西へ参道を折れ、神門をくぐると、
垣に囲まれた、「お宝塚」が社殿の前に広がっている。
垣の中は、周囲に濠があり、中央に高貴な方の御陵とも考えられる塚。
年末の早朝で、空気が冷え、画像も青いのだが、
参拝していると、近所の方が親子連れで参拝に来られてた。
清々しい朝の境内。
もう少し時間が経てば、社殿は朝日を正面に浴びる。
通称、長津宮。
斉明天皇の行宮跡とも考えられている神社。
日本書紀、斉明天皇の条に、天皇一行は舟で西へ向い、
一月、伊予の熱田津の石湯行宮(道後温泉)に泊まり、
三月、娜大津の磐瀬行宮にお入りになり、名を長津に改めたとある。
一般には、娜大津は博多周辺、長津は福岡の那珂津と考えられているが、
『日本紀通證』では、この辺りとされているようだ。
祭神は、現在、天照皇大神。
これには、大山積神、大己貴命、武国凝命などの異説があるようだ。
明治の神社明細帳では、現在の三柱に、天命開別命を加える。
また、当社には七十余体の木像があるという。
『特選神名牒』では、神体が三座あり、中央が女体、随身七十余座。
境内の案内では、斉明天皇の近侍の生像とある。
案内板や、神門には、御所車に村の字の神紋。
お宝塚が大きくて、近づくと、全景がうまく撮影できなかった。
広角レンズが欲しいところ。
仕方がないので、何枚かの写真を合成したが、
我ながら、なかなかだ、と思う。
拝殿の左手に立派な境内社があるが社名は確認していない。
他にも境内社の祠が並んでいるが、こちらも確認していない。
『愛媛県神社誌』には、境内社として、
出雲社、合祀社、八坂社、愛宕社、葛城社、須波社の名前が載っている。
参道の下り坂 |
鳥居 | 神門 |
お宝塚 |
お宝塚 |
拝殿左の境内社 | 社殿 |
本殿 |
境内社 | 境内社 |
村山神社(延喜式内名神大社)
斉明天皇と天智天皇を祭神とするこの神社は、津根郷発
祥の歴史とともに隆昌した県下屈指の式内大社です。拝殿前のお宝塚は、斉明天皇百済救援の折の御陵所とも いわれています。 古来西国二十三か国の人々は、下参宮と 称し、この村山神社に参詣することで、伊 勢神宮の参拝に替えていたそうです。 また、ここにまつってある木像70余体は、 斉明天皇近侍の生像といわれています。 −境内案内より− 磐瀬の行宮とお宝塚
応神天皇の御代秦氏
がこの地に栄え、続
いて孝徳天皇の御代
阿部小殿小鎌が常の
里に派遣され砂金の
採集に当った。その
後斉明天皇の七年天
皇筑紫行幸の途次道
後温泉に御入湯後三
月二十五日中大兄皇
子、大海皇子等を伴
い御船を還えして娜
の大津磐瀬の行宮に
還行され池を長津と
改められたと日本書
記に誌されており、
お宝塚を中心とする
村山神社神域が磐瀬
の行宮遺蹟と拝察さ
れ、またお宝塚は高
貴の方の御陵とも伝
承されている。−境内石碑より− |