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冨知神社
ふくちじんじゃ
静岡県富士宮市朝日町12−4  Zenrin Data Com Maps display !!


棕櫚の葉

式内社 駿河國富士郡 富知神社
富士山本宮浅間大社摂社

御祭神
大山津見神

静岡県富士宮市にある。
西富士宮駅の北東500mほどの朝日町に鎮座。
浅間大社の北西500mほどの位置にあり
浅間大社の境外摂社となっている。

社前を小川が流れており、小さな橋を渡ると境内。
地図で確認すると、この小川は浅間大社の湧玉池につながっているようだ。

境内奥に社殿があり、赤い屋根の入母屋造拝殿の後方に
流造の本殿がある。

鳥居をくぐって左手に大きな木が聳えており
周囲の方々が、朝の散歩や体操をしていた。
そんな境内。

当社の社号は、拝殿扁額には「冨知神社」とあり
資料によっては「富知神社」。
古記録には「不二神社」「富士神社」「福地明神」とも。

『惣國風土記』には
「不二神社、大山祇之命也、深待彦天皇二年丁卯六月之旬始祭之」とあり
孝昭(深待彦)天皇二年の創祀とあるが、
案内板には、孝霊天皇となっていた。
が、どちらも紀元前であり、信憑性はない。

『富士本宮浅間社記』には、
浅間大社が鎮座した大宮は、もとは福地明神(当社)が鎮座していた地、とあり
浅間大社が鎮座した、平城天皇大同年間以前から、
当地の地主神として崇敬されていた古社ということになる。
案内板によると、坂上田村麻呂によって、
浅間大社が大宮の地に移され、
当社は、大宮の地から現在地へ遷座させられたらしい。

『駿河国神名帳』には「正五位下 福地天神」とあり
式内社・富知神社の論社である。

祭神は大山祇命で山の神。
富士山を祀った神社なので、冨知神社と称したのだろう。

社殿の左手に、境内社の三峯神社。

拝殿に団扇紋が付けられていたが、
浅間大社の摂社ならば、浅間大社と同じ棕櫚の葉だろう。


鳥居

社殿

境内

三峯神社

拝殿扁額

本殿

富知神社
 冨知神社は、大山津見命を祭神と し社号は不二神社ともいわれ、富士 山を祀る神社である。
 延喜式神名帳に、富士郡三座、倭 文神社・浅間神社・富知神社と記さ れている。神社の前には、「富知神 社」と刻まれた天保辰三(一八三 二)の石碑が建っている。
 現在の浅間大社の社地が、かって は富知神社の社地であったといわれ ている。古くから富士山の神を祀っ てきた富知神社の社地に、新たに富 士山の神(コノハナサクヤヒメ)を 祭る浅間神社がおかれ、富知神社が 現在地に移されたのではないかと考 えられる。
 「富知神社」の石碑の近くに、貞 享五(一六八八)造立の地蔵や菩薩 立像・甲子などの石造物がある。

−社頭案内板より−




冨知神社
一、御祭神大山祇命
一、御例祭九月十九日
一、境 内二、二七三平方メートル(六八七坪)
一、鎮座地富士宮市朝日町十二番四号
御由緒
 御祭神の大山祇命(おおやまづみのみこと)は 浅間大社の御祭神木花佐久夜毘売命の 御父神に当らせられます
 孝霊天皇の二年に創建され延喜式神明帳 にも記載された富士地区三社の一つで由緒のある 神社であります
「富士山本宮社記」によると平城天皇の大同 元年(八〇六年)征夷大将軍坂上田村麻呂が 勅命により東国を平定して帰京の途次神恩に 感謝して浅間大神を山宮の地から大宮の現在地に 遷座された時すでに祭られていた当社を立宿の 地に移されたと伝えられています
 当社は大宮の地主の神鎮守(ちんじゅ)の神 産土(うぶすな)の神として古くからこの地方の人々は 篤い崇敬を捧げて祭ってきました
 当社は本宮を摂社(せっしゃ)本宮に縁故の深い 神を祭った神社という強いきずなで結ばれてきました
 神主は福地大夫(ふくちたゆう)と言われ明治の 初年までは山田家が世襲していましたが現在は 浅間大社の宮司が兼務となっております

−境内由緒板−



【 冨知神社 富知神社 (富士宮市)(印刷用ページ) 】

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