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樺太神社
からふとじんじゃ
樺太豊原市旭ヶ岡


白樺

旧官幣大社

御祭神
大國魂命 大己貴命 少彦名命

北海道の北・樺太(サハリン)にあった。明治四十四年の創建。
樺太は、ポーツマス条約(1905)以後、南樺太が日本領であったが、
終戦後、日本は、その領有権を放棄。

当社は、南樺太の中心部・豊原に鎮座していた神社。

以下の写真は、すべて絵葉書から転載。













本殿


本殿


樺太神社から豊原市街地

官幣大社樺太神社略記
一、御鎮座地樺太豊原町旭ヶ岡
一、御祭神大國魂命、大己貴命、少彦名命
御三神は國土開拓経営に又医薬禁厭醸酒等の祖神として偉大なる御功績を 顕はし後皇孫に國譲りして大義名分を明にし専ら國土の幽事を宰りて皇運 の隆盛と國家の福祉とを守護し給ひ何れも拓殖に縁故深き神々にまします を以て畏くも明治大帝の御叡慮により特に樺太神社の御祭神として御選定 奉斎遊ばされたのである。
一、御鎮座明治四十四年八月二十二日
一、御例祭八月二十三日
一、 皇室及皇族の御崇敬 大正十四年八月十日 今上陸下摂政宮にましませし とき親しく御参拝あらせられ境内に御手植樹、及落葉松、蝦夷松、椴松の 御播種遊ばさる、その苗木を昭和三年御即位記念として樺太全島の各小学 校に配付せり。
○高松宮殿下並久邇宮朝融王殿下は大正十四年八月十日 ○伏見宮博恭王 殿下は昭和四年六月二十六日 ○閑院宮載仁親王殿下は昭和六年七月十四 日 ○閑院宮春仁王殿下並同妃殿下は昭和八年五月二十六日 ○東伏見宮 大妃殿下は昭和八年八月二日それゝ御参拝あらせらる。
一、 御寶物 明治四十四年八月二十三日 明治天皇より御神寶として白鞘の 御太刀一口を御奉納 ○昭和六年九月五日伊勢神宮より御神寶として金剛 造御太刀。御楯。梓御弓。錦御靭。御鞆黒葦毛御彫馬。御鏡。御櫛笥。辛 櫃。細辛櫃。の拾点を徹下御奉納せらる。
一、御社地豊原町東方旭ヶ岡の半腹にありて幽邃閑雅眺望絶佳の勝地にし て境内外地総坪数三十八萬五千五百四十一坪。
一、氏子樺太全島民。
一、参拝案内豊原駅より東方直路約二十町、自動車、馬車、人力車の便あり。

−絵葉書の説明−


【 樺太神社 】

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