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平壌神社
へいじょうじんじゃ
朝鮮平安南道平壌府慶上町


桐紋

旧國幣小社

御祭神
天照大神 國魂大神

現在の朝鮮民主主義人民共和国の首都・ピョンヤンにあった。
大正二年の創建。
昭和になって、皇太子誕生を記念して社殿一新。

このページの写真は、戦前の絵葉書や「全国官国幣社写真帖」から転載。








全国官国幣社写真帖より

國幣小社 平壌神社
鎮座地朝鮮平安南道平壌府慶上町
交 通京義線平壌驛から西北四粁
祭 神天照大神 國魂大神
例 祭十月二日
 平壌六門の一つである七星門の南側にあり、牡丹台の南 端に鎮座してゐる。大正元年我が居留民の団体が伊勢から 神宮の御霊代を拝戴して、大正二年一月一日その鎮座祭を 行つた。昭和九年再建の工を起して、翌十年に落成したが、 社殿の面目一新して宏壮である。昭和十二年五月十五日國 幣小社に列格仰出され、同月三十一日勅使参向の上、列格 奉告祭を執行せられ、今日に至った。
 社殿は神殿、中門、幣殿、中殿、拝殿等より成り、神殿 は神明造、銅板葺である。
 七星門を出て北へ進むと、右手の丘陵は乙密台で、丘上 の古風な建物は四盧亭といひ、約六百年を経た古建築であ る。この亭からは有名な牡丹台が呼べば応へんと思はれる 程間近く、眼下には玄武門、永明寺、浮碧楼が樹間に望ま れ、大同江の清流が見下される。この辺一帯は日清役の古 戦場で、四盧亭の柱には今も無数の弾痕が歴然をしてゐる。
 乙密台を下って玄武門を潜ると、その先に屹立するのが 牡丹台で、こゝは日清役に清軍が放列を敷いた地であり、 その砲塁址が残つてゐる。

−昭和十八年発行 『神国日本 神まうで』−


【 平壌神社 】

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