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千栗八幡宮
ちりくはちまんぐう
佐賀県三養基郡みやき町大字白壁字千栗  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

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肥前国一宮
旧國幣小社

御祭神
應神天皇 仲哀天皇 神功皇后
合祀 難波皇子 宇治皇子 住吉明神 武内宿禰

千栗と書いて「ちりく」と読む。

佐賀県みやき町。筑後川の側にある。
通常、県境は筑後川などの大河を用いるが、
佐賀県と福岡県の境は、少し歪になっている。
これは、昔の筑後川によって境が確定した名残。
その後、筑後川の整備によって流れを変えたらしい。

ということで、当社は、昔、
筑後川のすぐ側にあった丘の上に鎮座していた。

境内から筑後(福岡:久留米)方面を眺めると、
高良大社のある高良山が望める。
肥前・筑後の国境に位置する二つの丘にある神社。
国境警備として、その神威が機能していたのかもしれない。


田と住宅の間を流れる古川(元筑後川か)。
右上に見えるのが高良山

当社は、肥前国一宮。
近世以降、河上社(與止日女)と、その一宮を争ったことは有名。
ただし、中世には、争った形跡がないらしい。

河上社は延喜式に記載された神社であり、国府に近かった。

当社は、延喜式内社ではないが、宇佐八幡別宮として尊崇され、
また、筑後川を挟んで、筑後国一宮高良大社と対峙する位置に
肥前国一宮を配置する意味は大きい。

神亀元年(724)郡司・壬生春成が夢告によって祀った神社。
壬生春成が狩猟していた時、弓の上に鳩がとまった。
鳩は八幡宮の使い。
その夜、夢の中で、八幡宮境内に千本の栗が現れた。

合祀されている難波皇子、宇治皇子について。
一般に難波皇子は敏達天皇の子、宇治皇子は応神天皇の子(菟道稚郎子)とされているが、
八幡宮で、宇治皇子と共に祀られている難波皇子は、
宇治皇子(菟道稚郎子)と皇位を譲り合った仁徳天皇のことだと思う。

鳥居をくぐるり、階段を登ると境内。
正面に社殿があり、左手に社務所。
右手が広く、境内社が2つ。階段下にも1つあった。


境内入口

参道脇に宮地嶽神社

肥前鳥居

参道階段

階段上の鳥居

拝殿

本殿

本殿

境内

社殿の右に、変った建物があり、中央に、石碑のようなもの。
粥占神事で、結果をここに置き、披露する場所らしい。


拝殿扁額

粥占神事の場所



武雄神社
武雄心命
天之忍穂耳命菅原道真
伊弉諾尊高木神




鳩森稲荷神社
保食神

参道階段を上から

千栗八幡宮 旧国幣小社
祭神應神天皇
仲哀天皇
神功皇后
難波皇子
宇治皇子
住吉明神
武内宿禰

● 由緒
 神亀元年(七二四)聖武天皇の勅を奉じて 養父郡司 壬生春成が、この地に社殿を、 造営し創建したと伝へている。以来本宮は 宇佐神宮の五所別宮の一と称せられ、朝廷 からも厚く尊崇を受けた。慶長十四年(一六 〇九)には後陽成天皇より「肥前国総廟一宮鎮守千栗八幡大菩薩」 の勅額を賜わった。
中世以降は肥前国一宮と呼ばれている。
昭和二十三年 神社本庁別表神社
祭 日
三月十五日御粥祭
五穀豊饒を祈り粥占神事
八月一日名越祭
無事息災を祈り茅の輪神事
九月十五日例大祭(俗に放生会)
御神事、行列浮立
以上重要な祭りで年間数十度のお祭りがある。

● 人生儀礼
着帯の祝い
新しい生命が宿ってから五ヶ月目の戌の 日に岩田帯をしめて赤ちゃんの無事出産 を願います。
お宮詣り
男児三十一日、女児三十三日目に、両親、 共々神社に参拝し、お子さまの無事成育 を願います。
初誕生・餅踏の儀
生後、初誕生餅踏の儀を行います。
七・五・三の祝い
七才・五才・三才の男女児十一月十五日 無事成育を祈ります。
入学奉告祭
小学校入学は、家庭の生活から社会生活 の第一歩として、大きな意味を持つので この事を祝うと共に産土神に御奉告申上 げ勉学を祈ります。
厄年の祓い
厄人 男四十一才、女三十三才
身を慎み神様の加護を祈ります。
還暦祝
本赴返りの祝とも云い、満六十才
岩田帯、餅踏のわらぢぞうり、神社にて 授與します。

−境内案内−



【 千栗八幡宮(印刷用ページ) 】

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