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三宅神社
みやけじんじゃ
三重県鈴鹿市国府町1609  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 伊勢國鈴鹿郡 三宅神社
式内社 伊勢國河曲郡 大鹿三宅神社
伊勢國総社
旧村社

御祭神
國常立之命 大穴牟遲命

合祀 式内社 伊勢國鈴鹿郡 江神社
猿田彦命 配祀 泉事解男命

合祀 若狹比賣命 伊弉冉命
配祀 綿津見命 誉田別命
配祀 軻遇突知命 速玉男命

合祀 天照皇大神 木花咲久耶姫命
配祀 奧津彦命 奧津比賣命
配祀 神日本磐余彦命

合祀 伊邪那岐命 須佐之男命
合祀 市杵嶋姫命 大山祇命
合祀 上筒男命 中筒男命 底筒男命
配祀 罔象女神 菅原道眞

三重県鈴鹿市にある。
鈴鹿駅の西9Kmの国府町に鎮座。
鈴鹿サーキットからは、北西4Km。

41号線と54号線が交わる交差点のそばに東向きの境内。
鳥居の右に、『延喜式内 三宅神社』の社号標。
『総社 三宅神社』と扁額を掲げた鳥居をくぐると、正面に社殿。
社殿は、わりと新しい。最近、改築されたのだろう。
拝殿の後方に、垣に囲まれて流造の本殿。
本殿もまた新しい。

午前中の参拝なので、朝日を正面に受けた社殿と、
青空と、流れる雲と、みな良い雰囲気。

伊勢国国衙のあった国府町に鎮座し、
江戸時代までは、惣社大明神と呼ばれていた古社。

伊勢国総社と考えられる神社で、
鈴鹿郡の式内社・三宅神社の論社のひとつでもある。

だが、当社の創祀は中世まで遡る明確な資料もなく、
よって、式内社・三宅神社として、
また、総社としての根拠も薄いとする説もある。

一方、当社を河曲郡の式内社・大鹿三宅神社と見る説もあり、
なかなか複雑だ。

主祭神は、国常立之命大穴牟遅命だが、
明治41年に国府町の各社を合祀したため、
現在、祀られている祭神は、とても多い。

この時に合祀された江神社(旧村社)は、
式内社・江神社の論社。
樫木大明神と呼ばれ、国府城の北東にあったが、
明治の神社整理により、当社へ合祀された。
明治八年には教部省達によって式内社と決定された神社でも
整理されてしまったということだ。

本殿の屋根に三つ巴の紋が付いていた。
一般的な紋なので、当社の神紋かどうかはわからないが、
とりあえず掲載。ひょっとしたら違うかも。


社頭

鳥居

社殿

本殿

境内

社殿横から

山神の石碑群


【 三宅神社 (鈴鹿市国府)(印刷用ページ) 】

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