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治田神社
はるたじんじゃ
長野県千曲市大字稲荷山1650−1  Zenrin Data Com Maps display !!



式内社 信濃國更級郡 治田神社
旧県社

御祭神
治田大神 配祀 倉稻魂命 事代主命

長野県千曲市(旧更埴市)にある。
篠ノ井線稲荷山駅の南西3Km、しなの鉄道屋代駅の西3Km。
千曲川の西岸の小高い場所。
治田公園の横、池に面して鎮座している。

池には釣をしている人が多い午後の参拝。

社伝によれば、雄略天皇8年(463)。
彦坐命の5世孫・日子王が、当地へ下向し、創建したもの。

当社から南西に1Kmの桑原に同名の治田神社が鎮座しており、
桑原の社を上の宮、当社を下の宮と呼ぶ。
一説には、昔は、現社地裏手の治田山に鎮座していた社が、
麓の上下社に分祀された結果だとも。

武田信玄の川中島侵攻に際し、その威を恐れ、
社号を諏訪明神と改め、江戸時代まで上下諏訪明神と呼ばれていたが、
上下二社分祀は、諏訪社の影響とも考えられないだろうか。

境内には多くの境内社・石祠がある。
大きなものでは、津島宮、北野天満宮。
他には、高市社、三峯社、秋葉社、庚申塚、道祖神。

神紋は、『全国神社名鑑』には、十四弁菊とあったが、
社殿には、十二弁菊の周りに菱形の葉の紋様。
名前が分からないので、「菊」とした。


社前の治田池

池に面した鳥居

社殿

社殿

本殿

北野天満宮

境内入口の鳥居

境内から治田池

津島宮

境内社

境内社

境内社

治田神社 神社本庁
祭神 治田大神・事代主神倉稲魂神
例祭 九月二一日 神紋 一四弁菊花
建物 本殿流造二・七坪 拝殿神明造二〇坪 祝詞殿八坪 神輿庫七坪
境内 一、一〇〇坪 末社 一二社
社宝 古机二脚・古鏡一二面・勾玉管玉数百個・銘刀八振・長巻一振・社号懸物四幅・章句掛物・甲冑・能面二個その他多数
氏子 一、四五〇戸 崇敬者 七、三〇〇人
神事と芸能 祇園祭(七月一八日・神輿渡御は盛大に行われる)
由緒 当社は、延喜式内信濃国四八座中の一 社で、九代開化天皇の皇子彦坐命の五世の孫 日子王が詔を奉じて当国に下向し、部民を鎮 撫愛護しここに村邑をなすに至り、一社を勧 請して彦坐命を治田大神とあがめ、事代主神・ 倉稲魂命の二柱を配祀して産土神として奉斎 した。中世以後は川中島治田庄更科郷といわ れ、神社は総鎮守治田大宮大神宮と称し、領 主の崇敬がきわめて厚く、直参・代参等しばし ば行なわれた。江戸期には上田藩松平氏の領 稲荷山郷の鎮守として奉斎された。明治一四 年郷社に、同三三年県社に列された。

−『全国神社名鑑』−



【 治田神社 (千曲稲荷山)(印刷用ページ) 】

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