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伊奈西波岐神社
いなせはぎじんじゃ
島根県出雲市大社町鷺浦102
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式内社 出雲國出雲郡 同社大穴持伊那西波伎神社 |
出雲大社から山を越えた日本海側にある。
当日は、日御碕神社から、高尾山超えの23号線を進む。
道幅が広く、しかも他の車が一台もいない。
そこらの高速道路より快適な道。あっと云う間に、鷺浦へ到着。
ところが、ここからは離合不可能な狭い道。
あまりのギャップに驚きながら、ゆっくり進むと道沿いにある。
一般には、「鷺社(さぎのやしろ)」と呼ばれている。
創祀年代は不詳。
式内社・同社大穴持伊那西波伎神社に比定されている古社。
出雲国風土記に「同社」とある神社。
「同社」とは、前に記されている「企豆伎社」と同じ名という意味。
「企豆伎社」は出雲大社の意味で、つまり出雲大社の摂末社の意味らしい。
祭神の稻背脛命は、
武甕槌神と経津主神が国譲りの交渉のために降臨した時、
諸手船(天鳩船)にて、大国主神の子・事代主神への使いをした神。
また、天照大神の子・天穂日命の御子神で、またの名を天夷鳥命という。
境内が広いせいか、拝殿が小さく見える。
境内 |
神門 | 拝殿 |
境内社 | 本殿 |
大社造の本殿 |
社号標 | 本殿 | 産土大神 |
伊奈西波岐神社(鷺大明神)旧県社 簸川郡大社町鷺浦 山陰本線 大社駅より七粁 祭神 稲脊脛命 八千矛神 例祭 一〇月八日 本殿 大社造四坪 境内 三五六四坪 末社 四社 宝物 和歌十首(冷泉為村) 氏子 一六〇戸 五七〇人 由緒沿革 出雲大社の摂社にして、出雲風土記及び延喜式に見える古社である。桃園天皇の御代、林丘寺宮二親王は疱瘡平癒のため菊御紋付提燈二張を寄進せられた。今の社殿は寛永二年造営に係る。 −神社名鑑− |
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