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伊富岐神社
いぶきじんじゃ
岐阜県不破郡垂井町岩手字伊吹1484−1
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式内社 美濃國不破郡 伊富岐神社 |
岐阜県垂井町にある。
伊吹山の南東8Kmほどの場所。
境内には杉の大木も多く、
こんもりとした社域が遠目にもわかる。
神社の南東1Kmほどに一之鳥居があり、まっすぐ伊吹山を目指すと到着。
といっても、一之鳥居付近まで来ることはあまりないかもしれない。
僕も偶然通りがかったのだ。
創立年代は未詳。
祭神には、幾つかの説がある。
1.多多美彦命説
多多美彦命、通称、夷服岳神・気吹雄命。要するに伊吹山の神。
2.八岐大蛇説
日本武尊が、伊吹山の荒神が化した大蛇と遭遇。
大蛇神として、出雲伝説の八岐大蛇を当てる説。
3.天火明命説
伊福部氏は、尾張連と同祖で、天火明命の末裔。
当社縁の伊福部氏が、その祖神を祀っているという説。
4.草葺不合尊説
根拠は不明、「フキアエズ」の音からきたのもか。
ということらしいが、伊福部の名の由来を「火吹部」とする考えもあり、
天火明命に率いられた技術者集団が当地に居住したものだろう。
とにかく、伊富岐神ということだ。
高速で愛知から琵琶湖を目指していたが、あまりの渋滞で、
下の道を走っていて、なんとなく通りがかった神社。
ゴールデンウィークのためか、垂井町にはハイキング客らしい人々が多かった。
本殿には、三つ巴紋と桐紋が付いていたが、
『神社名鑑』では、三つ巴とあったので、巴で間違いないと思う。
天気の良い五月の参拝。参道の緑がまぶしい季節になった。
一之鳥居から伊吹山が見えるはずだが、地理に疎いので、
見えている山が伊吹山なのかどうか不明。
一之鳥居 | 二之鳥居 |
鳥居から北西へ進むみ、踏み切を越えてしばらく下る。
細い路地を進むと、緑の参道と、こんもりとした杜が見える。
石の橋を越えて、境内に入ると、杉の大木がすごい。
境内 |
社殿 | 拝殿 |
本殿の左右に、境内社がある。
資料には、境内社として伊福貴一御子明神から九御子明神までが祀られているらしいが。
ちなみに、すべて天火明命の後裔で、
一御子・天香語山命、二御子・天村雲命、三御子・天忍人命、
四御子・天戸目命、五御子・建斗米命、六御子・建田背命、
七御子・建諸隅命、八御子・倭得玉彦命、九御子・若都保命の九代。
本殿と境内社 |
本殿左の境内社 | 本殿 | 本殿右の境内社 |
境内入口左手にも石橋があり、樹の根元に小さな祠がある。
なぜか、心に残った祠だ。
入口の境内社 | 灯籠と祠 |
伊富岐神社
古代伊富岐山麓に勢力を張ってい
た伊福氏の祖神をまつってあり、こ
の神社付近には石器時代の遺跡や山
頂古墳も多く、古代の豪族が住んで
いたことも明らかです。この神社は
古来より美濃の二の宮として崇敬さ
れており、岐阜県指定の天然記念物
の杉の古木があります。伊富岐神社 大杉
この大杉は根元の周囲約九・六
m 目通り約六・六m 高さ約
三〇mで、地上五mあたりから
四本の幹に分かれている。枝張り
は東西約十・五m 南北約十六
mで、樹勢も好く県下で稀な大
木である。いい伝えによると関ケ原の戦 いの時、社殿は兵火にかかった が、御神体は幹の分れたところ に安置してあったので安泰であ ったという。古来より御神木と して仰がれている。
経塚から出土品は大正十五 年(一九二六)に本殿を改築したと き出土したもので、経筒ほか 十三点があり鎌倉時代初期のも のといわれている。 古絵図は縦一〇五・三cm 横 七七cmの紙本著本のもので、い つの頃のものかわからないが、 境内及び付近の様子が画がかれ ていて貴重な資料である。 −『境内案内』− |