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芝大神宮
しばだいじんぐう
東京都港区芝大門1−12−7
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旧府社 |
東京都港区にある。
浜松町駅の西300m、港区役所の東、地下鉄大門駅のそばに鎮座。
参道入口は15号線に面して東向き。
参道を200mほど西へ進むと大きな白い石の鳥居。
鳥居の左手には生姜塚と社号標。
広重の錦絵 「江戸自慢三十六興 芝神明生姜市」 |
当宮創建当時、 |
鳥居をくぐり参道階段を上ると神明造の社殿。
階段上にある左右の狛犬の台座には「め組」と刻まれている。
歌舞伎「め組の喧嘩」は当宮境内で開催された相撲興行での
「め組」の火消し・辰五郎と力士・九竜山の喧嘩の話。
僕は「め組の大吾」を連想してしまったが
当地域周辺は火消し・め組の管轄らしい。
境内に力石が置かれているが港区指定の文化財。
港区には十四点の力石が確認されているらしい。
社殿の脇から本殿が見えるのだが、木々が茂って撮影できなかった。
形式はやはり神明造のようだった。
神明宮、日比谷神明、飯倉神明宮、芝神明宮ともよばれた神社。
平安時代、寛永二年(1005)一条天皇の御代の創祀。
古く飯倉山芝公園丸山(東京タワ−付近)に鎮座していたが
慶長三年(1598)に現在地に遷座した。
この地は古く、伊勢大神宮の御厨があった地らしい。
源頼朝が社領を寄進。
足利、太田。北条、豊臣などの武将の崇敬篤く、
徳川時代、歴代将軍も祈願・寄進・修造を行ったという。
明治元年十月、天皇御東幸に際し
内侍所小休所となり、十一月には准勅祭社に列し、官幣使の参向あり。
明治五年府社に列して、正式に芝大神宮と改称した。
秋の例祭は、「だらだら祭」と呼ばれ、
期間中には、生姜市が開かれる。
別名を「めっかち市」「目くされ市」と称し、
根勝生姜が訛ったとか、片目の者が商いしていたとか
当宮の水が眼病に霊験があるため目の悪い者が多く参詣したからとか。
広重画帖 芝神明宮祭礼生姜市之景 |
社頭 |
生姜塚と社号標 | 鳥居 |
社殿とめ組の狛犬 | 手水舎 |
社殿 |
力石 | 拝殿 |
芝大神宮の縁起 御祭神 天照皇大御神、豊受大御神、相殿 事代主命、大国主命、倉稲魂命、菅原道真公、源頼朝公、徳川家康公 当宮の御鎮座は遠く平安時代、寛永二年(1005年)一条天皇の御代のことである。もとは芝神明と称されたが、明治五年、正式に芝大神宮と官許された。古く飯倉山芝公園丸山(東京タワ−付近)に鎮座せられていたが慶長三年(1598年)に当地に鎮座した。 江戸時代は多くの崇敬者、参詣人を集め、境内には角力、芝居小屋、見世物小屋が常にかかり、庶民の憩いの場として親しまれた。鳶頭と角力取りとのトラブルは「め組の喧嘩」として有名で、今でも歌舞伎に上演せられその際には主役俳優が参拝する慣わしもある。当宮の祭礼は、俗に「芝神明のだらだらまつり」といわれ、九月十一日より二十一日迄執り行われる。近年はこの期間のうち特に十三日より十七日までに焦点を絞り種々の行事を行なっている。境内では、古来より名代の「厄除の甘酒」を昔ながらの情緒ある特設小屋でム−ドを満喫しながら賞味できる。 古くは祭礼中、境内や近辺で盛んにの生姜を売った。これは「生姜市」といわれて有名である。この生姜は御社殿鎮座当時、周辺が生姜畑であったところから、神前に奉られ、また参拝者に売られたもので、根が大きいので「根っかち生姜」めっかちが売ったから「めっかち生姜」ともいう。また、芝神明に水あり、目を病むもの目を洗えば平癒したため、九月の祭礼には目の病人が多く参拝して「目くされまつり」ともいわれた。生姜市は広重の錦絵にも画れている。 また、当宮で有名なものに「千木筥」がある。これは当宮のみの授与品にして、現在では東京の郷土玩具としても広く知られる。古くは藤づるにて編みし器に餅を盛ったので餅器を略して千器といったとか、千木より作ったから千木筥というなどの諸説がある。現在でも千木筥の原型に季節の果実等を盛って神前にたてまつっている。婦女子は衣装の豊富を祈ってタンスに納める習慣もある。 いずれにしても当芝大神宮は神威の高大を待って有名で、秋祭の代表的な神社である。 −『平成祭データ』− |