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皇大神宮 内宮
こうたいじんぐう ないくう
三重県伊勢市宇治館町
何事の おはしますをばしらねども かたじけなさに涙こぼるる 西行法師
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式内社 伊勢國度會郡 大神宮三座 相殿坐神二座 並大 預月次新嘗等祭 |
伊勢I.C.から23号線に沿って南下すると、内宮前。
宇治橋の手前には、土産物屋が並び、参拝客が多い。
参拝客の流れに乗って、宇治橋を渡り、右手参道を進む。
つきあたりの御手洗場(五十鈴川)で手を洗い、参拝開始。
参拝は、七月の暑い一日だったが、
小雨が降り出したせいで、涼しさが戻ってきた。
[追記]
最初の参拝は2000年だったが、
2013年に伊勢神宮内宮、外宮の式年遷宮が終了。
2014年に新しい神宮へ参拝したので、いくつかの写真を追加した。
『古事記』には、
「伊須受能宮」「伊勢大神之宮」「伊勢大神宮」「伊勢大御神」「伊勢神宮」とあり
『日本書紀』には、
「磯宮」「伊勢神宮」「神宮」「五十鈴宮」「伊勢大神祠」「伊勢祠」「天照大神宮」
などと記されている古社。
『日本書紀』崇神天皇六年の条に、それまで天皇の大殿内に並び祀られていた
天照大御神と倭大国魂を、神の勢いを畏れて、
天照大御神を豊鋤入姫命に託して倭笠縫邑に磯堅城神籬を立てて祀らしめ、
倭大国魂を渟名城入姫命に託して祀らしめた。
その笠縫邑の磯堅城神籬が、当宮の起源。
その後、垂仁天皇二十五年、天照大御神は豊鋤入姫命から倭姫命に託された。
倭姫命は、大神の鎮座すべき場所を探し、
宇陀の篠幡から、近江国、美濃を経て伊勢国に至った。
その時、天照大御神は「伊勢国はしきりに浪の打ち寄せる美しい国である。
この国に居りたいと思う」と告げられたので、
五十鈴川のほとりに祠を建てた。これが伊勢の神宮の創祀。
当宮は、朱雀三年(688)、二十年に一回の式年遷宮の制が立てられ
持統天皇四年(690)第一回の式年遷宮が斎行された。
いわゆる伊勢神宮(正式名は「神宮」なので、伊勢の神宮が正しい)は、
皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)を中心とした125社の総称なのだ。
伊勢の神宮125社はこちらのページに記載。
五十鈴川に掛かる宇治橋を渡る。
境内入口 |
宇治橋 | 五十鈴川 |
2014年3月、夜明け前の境内入口 |
宇治橋の外と内とに高さ七・四四メートルの大鳥居が立っているが、内側の鳥居は、内
宮ご正殿の棟持柱が、外側の鳥居は、外宮ご正殿の棟持柱が用いられている。さ
らに二十年たつと、内の鳥居は、鈴鹿峠のふもとの「関の追分」、外の鳥居は、桑名の「七
里の渡」の鳥居となり、合わせて六〇年のおつとめを果たしている。
−『お伊勢まいり』− |
一之鳥居 | 御手洗場 |
瀧祭神 | |
御手洗場 みたらし 参道の右手、ゆるやかな斜面を下りていくと、石畳を敷き詰めた五 十鈴川岸に出る。この石畳の起源は、元禄五年(一六九二)徳川綱吉将軍の生母、桂昌院 が寄進したものといわれる。 清流の水で口をすすぎ、手を洗えば、神気がおのずから身の内に満ちてくるような清 々しさを覚える。 瀧祭神 たきまつりのかみ 御手洗場から参道にもどるすぐ右手にあ る。石畳の上に石神をおまつりしているのが瀧祭神で、 御垣とご門だけあって社殿はない。延暦二十三年(八 〇四)神祇官に奉った皇大神宮儀式帳にも、この瀧祭 神は御殿がないと書いてあるから、一、〇〇〇年前か ら社殿のない石神として祭られているのである。 五十鈴川の水の神をおまつりしている。皇大神宮の 所管社であるが、別宮に準じて祭典も奉仕されている 特殊な神である。 −『お伊勢まいり』− |
風日祈宮橋 |
風日祈宮 | 風日祈宮 |
2014年3月、早朝の風日祈宮 左手の敷地に囲いが作られ遷宮の準備中 |
風日祈宮 かざひのみのみや 皇大神宮別宮、伊弉諾尊の御子神である 級長津彦命、級長戸辺命をおまつりする。この両神 は、外宮の風宮と同じように風の神さまである。風日祈というのは、古くから当宮で七月 一日より八月末日までの二か月間、毎日風雨の災害のないようにお祈りする風日祈の神事 が行われていたことに由来するのである。現在は五月十四日と八月四日の二度、風日祈祭 が皇大神宮、豊受大神宮以下諸宮社で行われている。 −『お伊勢まいり』− |
さらに進み、神楽殿を過ぎると、左手石畳に五丈殿があり、
四至神・御酒殿・由貴御倉が見える。
四至神 | 四至神 |
御酒殿 | 由貴御倉 |
四至神 みやのめぐりのかみ 五丈殿のすぐ東に石畳があり、石神をおまつ りしている。外宮にもあったように、大宮の境界をお守り になっている神である。 御酒殿 みさかどの 五丈殿の後方(北)にある切妻造、柿 葺の殿舎で、御酒殿神をおまつりする。古くは、皇大 神宮をはじめ、諸神にお供えする神酒を醸造する所で あった。 現在では、六月、十二月の月次祭、十月の神嘗祭の 由貴の夕朝の大御饌祭にお供えする白酒、黒酒、醴酒、 清酒の四種の神酒をここにお納めする。 六月一日、十月一日、十二月一日の三度、御酒殿祭 がここの御前で行われ、神酒がうるわしく醸造される ようお祈りするとともに、一般酒造業の繁栄を祈念す る。 由貴御倉 ゆきのみくら 御酒殿の東にならんでいる神明造の社殿で、 由貴御倉神をおまつりする。御酒殿神とともに御饌祭 のお供えものや果物を納めておく御倉であった。 由貴とは、清浄なけがれのないという意味である。 −『お伊勢まいり』− |
御稲御倉 | 外幣殿 |
式内社・荒祭宮に比定されている古社。
皇大神宮六別宮の第一に位置し、天照坐皇大御神の荒御魂を祀る。
よって、荒祭宮の祭祀はすべて正宮に準じて斎行される。
荒祭宮 |
2014年3月、早朝の荒祭宮 右手の敷地に遷宮が完了していた |
御稲御倉 みしねのみくら 皇大神宮所管社、この御倉に神 宮神田から収穫した抜穂の御稲が納められ、 由貴のお祭りのとき、御稲を奉下して、大御 饌が調進される。この御稲御倉には、このお 倉の守護神である御稲御倉神がおまつりされている。 ご正宮にくらべると、その規模は小さいが、唯一神明造の特徴をよく拝することができる。 外幣殿 げへいでん 古神宝類がお納めしてある。(外宮の外幣殿は、板垣のうち西北の隅にある。) 荒祭宮 皇大神宮の第一別宮で、大御神の荒御魂をおまつ りする。祈年祭、神嘗祭、新嘗祭の奉幣の儀のとき、 ご正宮につづいて、勅使、大宮司、少宮司以 下神職が当宮に参向して、祭典がとり行われ る。神域で、うぐいすの初音のきかれるのは、 このあたりである。 −『お伊勢まいり』− |
参道をそのまま直進すると、正殿正面へ出る。
参道 |