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伊奈波神社
いなばじんじゃ
岐阜県岐阜市伊奈波通1−1  Zenrin Data Com Maps display !!


五七の桐 十六菊
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式内社 美濃國厚見郡 物部神社
旧國幣小社

御祭神
五十瓊敷入彦命
配祀
渟熨斗媛命(妃神) 日葉酢媛命(母神) 彦多都彦命(外祖父) 物部十千根命(功臣)

合祀 式内社 美濃國厚見郡 物部神社 物部神社

伊奈波神社公式サイトを開く

岐阜市にある。
岐阜駅の北2kmほどの伊奈波通に鎮座。
駅から256号線を北上し、矢島町あたりで東へ。
突き当たりに参道入口の鳥居が見える。

参道入口の右手に遥拝所があり、
左手には善光寺というお寺がある。

参道は緩やかな上り坂。
100mほど上ると鳥居が建っており、
左手には社務所や参集殿。
さらに進むと、石の神橋があり、その奥、階段の上に楼門。

楼門をくぐると、静かな境内。
階段を上って神門のところで参拝をする。
神門内に拝殿があり、その後方に入母屋造りの幣殿・本殿があるが、
残念ながら屋根しか見えなかった。
公式サイトには、本殿の写真も載っているのに、残念。

参拝は、二月の休日の早朝。
境内は西向きなので、日が昇ると逆行になってしまい、
撮影が大変なので、日の出少し前に参拝を開始。
参拝を終えた頃には、朝日が眩しい境内だった。

景行天皇十四年、
東夷の教化と地方開拓に大功を立てた五十瓊敷入彦命
稲葉山(金華山)の西北の地・椿原(現在の丸山)に鎮祭したのが
当社の初めと伝えられている。
壬申の乱において、天武天皇が戦勝を祈願し、
厚見郡一帯を、当社の神領と定めたという。

創祀の異説として、稲葉国造の祖・彦坐王の皇子、
彦多都彦命を奉祀したとする説がある。

さらに、応神天皇の御代、物部印葉連公が、
五十瓊敷入彦命を奉祀したとする説も。

『続日本後紀』に、承和十二年(845)七月十六日、従五位下、
『三代実録』に、貞観十一年(869)十二月五日、正五位下、
元慶四年(880)十一月十九日、従四位下が授けられているとある。

天文八年(1539)斉藤道三が稲葉城を築城するにあたり、
現社地に遷座。
岐阜の総産土神として篤い崇敬を受け、
美濃国三宮であり、昭和十四年、國幣小社に列した神社。

当社は、式内社・物部神社との関係を論じられている神社でもある。

延喜式神名帳には、厚見郡の神社として
伊奈波神社が記されておらず、物部神社の名前が見られるが、
『美濃国神名帳』には、「正一位 伊奈波大神」「従五位下 物部明神」
と別々に記載されている状況をどのように解釈するかの問題である。

一説には、式内社・物部神社は、もと岩戸にあったが、井ノ口へ遷座し、
そこへ、丸山より伊奈波神社が遷座して来てのち、伊奈波神社に合祀されたとする。

一説には、伊奈波神社こそが、式内社・物部神社であるとする。
つまり、延喜式神名帳の物部神社は、正式には、伊奈波坐物部神社であり、
『美濃国神名帳』にある物部神社は、別に存在していたとする。

神紋は、桐と菊。
御朱印にも、境内の神馬像にもハッキリと示されているので
非常に分かりやすくて、ありがたい。



鳥居

参道の鳥居
車祓所でもある

楼門前の神橋

楼門

境内

拝殿

本殿の屋根だけ見えた



大正から昭和にかけて活躍した鳥瞰図絵師
吉田初三郎の
「稲葉神社の聖雪」

伊奈波神社の古社地である丸山には、
当社の摂社・丸山神社(伊奈波大神)が鎮座。

境内社は以下の通り。

参道入口の右手の池の中に松尾神社(大山咋神 市杵嶋姫命)。
参道を少し登って右手に、金山神社(金山大神)・愛宕神社(迦具土神)。

神橋の左手に、伊奈波大黒社とも呼ばれる大巳貴神社(大己貴命)。
参道右手に、赤い鳥居の楓稲荷神社(宇迦之御魂神)。
その奥に、吉備神社(吉備津彦命)。

楼門をくぐった境内右手の祠には、
和歌三神社(住吉神 玉津嶋神 柿本人丸)・天満神社(菅原道眞
東照宮(徳川家康)・須佐之男神社(須佐之男神)。
神門の右手に、黒龍神社(高靇神)。

確認できなかったが、本殿横には二つの祠があり、
一方の祠には、
大行事神社(市隼雄命)・后御前神社(毛里倫滿女)・
峯八王子社(當山守護神)・金神社(渟熨斗媛命)・
大神門神社(從臣毛里倫滿)・高山神社(毛里倫滿室)と
品部社(楯縫部神社・倭文部神社・神弓削部神社・神矢作部神社・
大穴磯部神社・泊橿部神社・玉作部神社・神刑部神社・
日置部神社・太刀佩部神社)が祀られ、
もう一方には、
野宮八幡神社(毛里國滿)・總神社(供奉軍兵五百余名)・
祖侖路神社(卜笙博士)・兒御前神社(擁烈根命)・
大国主神社(大國主神)・楠神社(楠木正成)が祀られている。

他に境外摂社として、峯本宮(日葉酢媛命 徳川家康 學神 蠶神)がある。

『平成祭データ』には、他に、太郎神社(祭神不詳)と記されているが、
境内にあるのか境外にあるのかは不明。


参道入口の右手、金山社・愛宕社

参道入口池の松尾社

参道右手の楓稲荷

参道右手の秋葉社

参道右手の吉備社

神馬像

和歌三社・天満宮・東照宮・須佐之男社

参道左手、大黒社

境内右手の黒龍社

針塚

伊奈波神社略由緒
当社の祭神・主神は、五十瓊敷入彦命垂仁天皇の第一皇子に坐す)、配祀神に淳熨斗媛命(主神の妃君に坐す)、日葉酢媛命(主神の母君に坐す)、彦多都彦命(主神の外祖父に坐す)、物部十千根命(主神の功臣に坐す)を奉斎する。主神は、英邁勇武に坐し頑愚強暴良民を悩ます東夷を征して教化を布き、又地方の産業開発には特に意を用いて濃、尾、摂、河、泉、和の広い地域に亘りて池溝を通じて水利を図り、農業を奨励して民生の安定、福利増進に尽し給うた。又鍛(かぬち)河上を喚して剣一千口を作り大和国石上神宮に納めて有事に備え国土の治安維持に任じ給うた。最近神徳を慕って土建、交通、水利、ダム関係の参拝者が非常に多い。御鎮座は、景行天皇十四年、命の偉徳を偲び武内宿禰をして椿原の地(今の岐阜公園丸山の地)に鎮斎せしめ給うたのが始まりで、今から約一九〇〇年以前のことである。降って天文八年斎藤秀龍(道三)稲葉山を居城とするに当り現社地に遷し奉った。昭和十四年十一月一日国幣小社に列っせられ、社頭の殷賑は年と共に加わりつつある。

−『平成祭CDデータ』−



【 伊奈波神社 】

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