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織殿神社
おりどのじんじゃ
三重県多気郡明和町佐田1284
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式内社 伊勢國多氣郡 大海田水代大刀自神社 |
三重県明和町にある。
近鉄線斎宮駅の北3.5Kmほどの佐田に鎮座。
祓川の東岸にある集落の南東隅に境内がある。
境内入口は南向き。
入口の鳥居の脇に「織殿神社」と刻まれた社号標が立っている。
鳥居をくぐると右手に手水舎。正面にも鳥居があり、その奥に社殿がある。
拝殿の入口、左右に丸柱があるが、拝殿の説明書によると旧本殿の棟持柱を利用したもので、
もとは、昭和四十七年の式年遷宮に際して神宮より譲り受けたものらしい。
拝殿の奥に、垣に囲まれた神明造の本殿。
社殿の周囲には、方位盤や遥拝所(たぶん神宮遥拝)などが点在している。
創祀年代は不詳。
当地は昔、麻績郷と称し、
『伊勢国風土記』逸文によると、
伊勢神宮に荒砂の衣を奉る神麻績の氏人等が、この周囲に居住していたらしく、
麻績氏が自ら奉じる氏神を当地(小藪)に祀ったと考えられている古社。
当地に住んだ麻績氏が、
当社から西へ1.5Kmほどにある神麻績機殿へ往来したと考えられる
禰宜道の跡も残っているらしい。
祭神の天八千々比賣命は、
天照大御神が高天原にいるとき、 桑の木を天香山に植え養蚕し、
その絹糸で大神の衣を作った神で染織業の祖神。別名を天棚機姫神という。
江戸時代には織殿八王子と称していたが、明治五年、織殿神社と改称した。
当社を式内社・大海田水代大刀自神社とする説があるが、
『式内社調査報告』では、これを否定している。
『三重県神社誌』には当社の神紋は「無」とあり、
特に神紋を指定されていないのかもしれないが、
賽銭箱に左三つ巴の金飾が付けられていたので、とりあえず載せておく。
社域 |
鳥居と社号標 | 境内鳥居と手水舎 |
社殿 |
拝殿 | 旧本殿棟持柱を利用した丸柱 |
拝殿内扁額 | 拝殿から本殿 |
本殿 | 本殿 |
方位盤 | 遥拝所 |
祓戸 | 石 |
織殿神社由緒
創建の年は不詳であるが、祭神は天八千々
姫命と言い伝えられる。古くこの辺りは麻績郷と呼ばれ、『伊勢国 風土記』の逸文には、「麻績の郷となづくるは、 郡の北に神あり、この神、大神の宮に荒砂の衣 を奏る。神麻績の氏人等この村に別れ居りき。 よりて名とす」とあり、一説には、この麻績氏 が自らの祖神をこの地の小藪に祀って、神宮に 奉献する神衣を調整していたので、織殿と称す るようになったと言われている。 また、往古、神宮の神御衣祭に荒砂を供え る神麻績機殿神社(松阪市井口中町)に奉 仕した人々の中には、この地に住む者も多く、 神職がここから機殿へ往来したという禰宜道の 跡も残っている。 −社頭由緒書(原文ママ)− |
【 織殿神社 (明和町) 】