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草薙神社
くさなぎじんじゃ
静岡県静岡市清水区草薙349
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式内社 駿河國有度郡 草薙神社 |
静岡県静岡市(旧清水市)にある。
静岡鉄道草薙駅の南東1.5Kmほどの草薙に鎮座。
駅前の交差点に、当社の大鳥居が立っているので、
その大鳥居をくぐって、道なりに進むと、
境内入口の鳥居が見えてくる。
入口鳥居の後方には、当社祭神・日本武尊の石像が見下ろしている。
参道の階段を上ると、左手に御神木の大楠。右手に神門。
神門をくぐると正面に社殿。
左手に神楽殿、右手に社務所。
神楽殿には、龍勢(流星)煙火が設置(展示?)されている。
「のろし」から発展した龍勢(流星)は、約15mの尾竹竿に
ロケット式火薬噴射竹筒を結びつけ、上端部に各種変化花火を仕込んだもの。
打ち上げ高度は300mにも達し、
昼のろしを龍勢、夜のろしを流星と呼ぶらしく、当社の無形民俗文化財。
神門には、打ち上げ筒も置かれていた。
祭神・日本武尊が蝦夷平定のため、東国へ赴く途中、
当地で逆賊が起こり、原野に火を放って尊を焼き殺そうとした。
そこで尊は出発の折、伊勢神宮に参拝し、倭姫命より戴いた佩用の剣を抜いて、
「遠かたや、しけきかもと、をやい鎌の」
と鎌で打ち払うように剣を振り、草を薙ぎ払って難を切り抜けた。
後、佩用されていた天叢雲の剣を 草薙の剣 と名称を変更。
尊を焼き殺そうとした場所を草薙と言はれるようになったという。
景行天皇が、日本尊命の勲功の地を尋ねられ、
景行天皇五三年九月二十日に当地に御着になり、一社を建立したのが、当社の創祀。
日本武尊を奉祀し、御霊代として、草薙の剣 を奉納された。
その後、草薙の剣 は第四十六代天武天皇の朱雀元年に勅命により
熱田神宮に奉祀されたという。
当社は、当初、天皇原の西に鎮座していたが、
往来の葦毛の馬に乗ったものは、必ず落馬したといい、
よって、平安時代に、現在地へ遷されたいう。
明治元年十月五日、勅使植松少将参向あり官幣を奉られ、
明治六年郷社に列し、明治十二年七月二十四日県社に昇格した。
本殿の屋根には、桐の神紋。
本殿の左右に、境内社が並んでいる。
本殿の左には、浅間、山神・八幡・子安・天皇・賀茂・内宮。
右には、住吉・春日・愛宕・白髭・厳島・稲荷・荒神、天神。
参拝中に、神職らしき人影を見たのだが、
参拝を終えて社務所をのぞくと誰も居なかった。
御朱印をいただきたかったが、残念。
「草薙」の文字は、カッコ良い漢字なので期待していたんだが。
大鳥居 |
境内入口 | 祭神像 | 参道 |
御神木の大楠 |
神門 | 舞殿 |
龍勢(流星)煙火 |
境内 |
本殿 | 本殿 |
左の境内社 | 右の境内社 |
式内延喜式
草薙神社由緒
尊は佩用の剣を抜いて 「遠かたや しけきかもと、をやい鎌の」と鎌で 打ち払う様に唱え剣を振り草を薙ぎ払ひ 火を逆賊の方へなびかせ尊は 無事に難をのがれた地を草薙という。 その後佩用されていた天叢雲の剣を 草薙の剣と名稱を変更になり 草薙神社に神剣として奉られる。 今より一八六〇余年前である。 −社頭案内板− 御由緒 当社は式内延喜式神名帳に「駿河国有度郡三座並小云々草薙神社」と記載されている。御祭神は景行天皇第二子皇子日本武尊を御祀り申し上げて鎮座してあります。国史社伝によれば、尊は東国の蝦夷が、叛いたので、之を平定する為、吾嬬国に赴く途中、このあたりで逆賊起こり、原野に火を放って尊を焼き殺そうとしたので尊は出発の折、伊勢神宮に参拝し、倭姫命より戴いた佩用の剣を抜いて「遠かたや、しけきかもと、をやい鎌の」と鎌で打ち払う様に唱へ、祓ひて剣を振り、あたりの草をことごとく薙ぎ払った処で手打石により日をつけた。その火は逆に逆賊の方へ烟りなびいて、尊は無事にこの難を切り抜けられました。その後、佩用されていた天叢雲の剣を草薙の剣と名称を変更になり、尚、尊を焼き殺そうとした処を草薙と言はれる様になりと、語り伝へられている。その後景行天皇が日本尊命の勲功の地を尋ねようと、五三年八月に天皇は郡郷に詔して曰く「冀くば、日本尊命の征定された国郡を巡視する。」そこで天皇は直ちに出発せられ、先ず伊勢に行幸され、次いで東国に向かはれ九月二十日に当地に御着になり尊の奮斗の後を封じて御親しく一社を建立し、日本武尊を奉祀し、御霊代として、草薙の剣を奉納されました。景行天皇五三年九月二十日(昭和六十年より一、八六三年前)依って当月当日(九月二十日を以て例祭日と定めて今日に及んでおります。その後草薙の剣は第四十六代天武天皇の朱雀元年に勅命により現在の熱田神宮に奉祀しされました。 −『平成祭データ』− |