[HOME] > [神社記憶] > [東海地方] > |
|
宇留布都神社古社地
うるふつじんじゃこしゃち
三重県多気郡明和町内座東浦
|
|
式内社 伊勢國多氣郡 宇留布都神社 |
三重県明和町にある。
近鉄線斎宮駅の北6Kmほどの内座に鎮座していた。
23号線の養川交差点から北へ600mほど、小学校の北、幼稚園の横にある。
現在は宇呂豆の大日堂と呼ばれる小さなお堂が立っている。
『式内社調査報告』によると、
当地には昔、式内社・宇留布都神社が鎮座していたという。
城主北堂左京大輔崇敬の神社で、元享年中(1321〜1324)
当地の東200mほどの自然堤防の上に遷座された。
また、弘仁年間(810〜824)、空海がこの地に立寄り
当社祭神の大日孁命の本地仏として大日如来を刻み、
一寺を建てて奉安したという。
保元年間(1158〜1159)に兵火にかかり焼失。
江戸時代、里の西方大日山(現在地か)に一宇を建て、
江戸末期頃に金剛界大日小像を祀ったという。
宇留布都神社は後に八王子社となり、慶応四年、宇気比神社と改称。
明治五年、村社に列し、明治四十一年、北藤原鎮座の畠田神社に合祀され、
合祀時点の古社地は田圃整備で消滅した。
つまり、宇留布都神社の本来の地に、その神宮寺と思われる大日堂があり、
宇留布都神社は東方に移動した後に八王子社、さらに宇気比神社となったが、
畠田神社に合祀されて消滅したということだろうか。
宇留布都神社古社地とされる宇呂豆の大日堂 |
大日堂 | 大日堂 |
【 宇留布都神社古社地 宇呂豆の大日堂 宇気比神社古社地 (明和町) 】