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建穂神社
たきょうじんじゃ
静岡県静岡市葵区建穂271
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式内社 駿河國安倍郡 建穂神社 |
静岡県静岡市にある。
静岡駅の北西5Kmほどの建穂に鎮座。
静岡駅から362号線を進み、安倍川を越えて2Km。
建穂地区の突き当たりに当社境内がある。
当社は、観音平と呼ばれる山の南麓にあり、
ハイキングコースの基点にあるようだ。
社前の案内板に、展望台への地図が描かれている。
階段をあがり、鳥居をくぐると広い境内。
拝殿の後方には、赤い屋根の本殿がある。
参拝は晩秋の夕方。すでに陽は傾いており、境内には長い影。
社号の「建穂」は、タケホともタキョウとも読むらしいが、
社前案内板の「建穂寺」の説明には、「タキョウ」と書かれていた。
かっては、馬鳴(まなり)大明神とも称されていた神社。
元は、藁科川に近い羽鳥の明神森に鎮座していたともいい、
『式内社調査報告』では、羽鳥の宮は、当社の里宮であり、
現社地の宮は、奥宮ではないかという。
当地には、天平年間に建穂寺が建てられており、
建穂寺が当社の別当であったとも考えられ、
寺社一体の信仰形態であったのだろうと思われる。
祭神は、保食神・天照皇大御神だが、一説には、日本武尊。
保食神は、建穂の「穂」から、
日本武尊は、「建部」との近似からの付会であるとも考えられる。
服織という地に隣接しており、建穂地域を中心に
秦氏の一族が居住していたらしく、
また、「馬鳴大明神」の馬鳴は、蚕虫に化生した馬鳴菩薩によるもの。
つまり、養蚕を営んでいた人々によって祀られた神社らしい。
「吾妻鏡」承元四年の記述には、
駿河国の建穂寺の鎮守である馬鳴大明神が、稚児に託し、
酉年に兵乱が起ると予言したとある。
当社から展望台までは、40分の山道を登る。
その中腹に、観音堂跡(約20分)があるらしい。
なにかありそうな雰囲気なので、観音堂跡まで登ってみることにした。
が、登ってみると、本当に跡だけだった。
登っているときには気づかなかったが、
下りの途中、木々の途絶えている場所からは
静岡市内が一望できる。
ただし、どの方向なのかはわからない。
(多分、南西方向だとおもうが・・)
境内入口 |
社殿 | 拝殿 |
境内 |
観音堂跡へ登ってみた | 本当に跡だけだった |
下り道で見た景色 |
建穂寺の歴史(静岡市建穂)
建穂寺は、白鳳十三年(六六二)法相宗の道昭が
草創し、養老七年(七二三)に行基が再興したと伝
えられる。 創立年代には疑問が残るが、県内屈指
の古寺として、天平七年(七三五)の「寺領寄進」
の記録が寺の古さを特徴づけている。平安中期の『延喜式神名帳』に、建穂神社の名 がみえ、「神仏混淆」の寺であった。安倍七観音の 霊場でもあり、観音堂には珍しい稚児舞が伝わっ ていた。 (現在は浅間神社廿日会祭に受け継がれ 静岡県無形民俗文化財に指定) 鎌倉時代の高僧南浦紹明は、幼年期を建穂寺で 修行した。 学問を目的とした建穂寺は、弘法大師 の意志を継ぎ、今川 徳川両家に保護されたが、 明治初期に経営が困難となり廃寺となった。 文化財の一部は、観音堂内に保存されている。 −社前案内板− |