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草奈伎神社
くさなぎじんじゃ
三重県伊勢市常磐1−1142
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式内社 伊勢國度會郡 草名伎神社 |
清野井庭神社の西、200m程度のところ。
こちらも住宅地だが、それなりの空間になっている。
入口を撮影している時、近所のおばあさんが通りかかり、
「あっち(清野井庭神社)より、こっちの方が偉い神さんなんだよ」
と、楽しそうに話してくれた。時刻は朝の五時半だった。
境内に入ると、意外に広い。
入口には、石を積んだような台がある。なんだろう?
内宮・外宮拝殿前の目隠しのようなものだろうか。
境内の左右に、離れて、玉垣で囲まれた社殿がある。
向かって左が草奈伎神社、右が大間國生神社。
大間國生神社には正殿が2つある、
正確には大間社(右:大若子命)と國生社(左:乙若子命)のようだ。
案内や説明がなかったので、神宮に電話して確認した。
草奈伎神社は、式内社・草名伎神社に比定されている古社。
外宮第一の摂社として尊崇されてきた神社だが
衰微・廃絶していたものを、正保二年大間社とともに現在地に再興され、
寛文三年摂社再興の折に、再度復興された。
「草奈伎」の社号に関しては、
倭姫命から日本武尊へ授けられる以前に神宮にあったという
草薙の剣の御魂を祀るという説や、
越の国の賊徒阿彦を討伐した大若子命の剣を
「草薙の剣」に例えたものという説などがあり確定していない。
大間國生神社は、式内社・大間國生神社に比定されている古社。
草奈伎神社同様、正保二年に現在地に再興され、
寛文三年摂社再興の折に、再度復興された。
小さな社号標 | 入口の台 |
入口 |
草奈伎神社 | 大間國生神社 |
草奈伎神社 | 大間國生神社 左:國生社、右:大間社 |
草名伎神社 薗田守良は、(中略)「神境紀談に此事を 飾りて、此草薙の称は日本武尊東征の実剣を草薙と号する に依て、大若子命の北征の標剣を彼に比べて、後人草薙社 とは称せるなるべし、と云、或は草薙は剣の惣名なり、な どしひていへるは皆信じがたきことなり。」としてゐる。また、(略) 「草薙剣」が景行天皇四十年に倭姫命か ら日本武尊に授けられるまで伊勢神宮にあつた「此剣の御 霊を此社の祭れりとせんか。」とし、「或説に、草薙剣はも とより此社に在て祭りしを、日本武尊に給ひしより空しく 其名の此社に残れるなり、といふは、いぶかしき説なり。 もし此御剣伊勢に在しほどは実殿に在しならん。御鏡につ きては此剣の尊きこと書紀に見えたる如し。さるを雄略天 皇以前未外宮鎮座なき比しも、其所摂社に此剣の納るべく もあらぬ事明かなり。」と述べている。 大間國生神社 『倭姫命世記』の雄略天皇二十一年丁巳冬十月 の條によれば、「又大若子命社定。大間社是也」とある。 −『式内社調査報告』− |