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矢奈比賣神社
やなひめじんじゃ
静岡県磐田市見付1114−2
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式内社 遠江國磐田郡 矢奈比賣神社 |
静岡県磐田市にある。
磐田駅の北3Kmほどの見付に鎮座しており
通称は「見付天神」。
磐田駅から北上して1号線へ入り東へ1Kmほど。
今之浦川を越えた付近で北に入る。
登り坂の途中に鳥居が立っており、その右手には巨木が聳えている。
鳥居をくぐって参道を進むと、
もう一つの朱の鳥居。
鳥居脇には狛犬のように「悉平太郎像」がある。
悉平太郎は怪物退治のため、駒ヶ根市の光前寺から借り受けた霊犬。 光前寺では「早太郎」と呼ばれている。 昔、見付村では田畑を荒らされないように毎年祭の日に 白羽の矢が立てられた家の娘を生贄(人身御供)として怪物に捧げていた。 旅の僧が怪物の正体を暴こうと、祭の夜に様子を窺うと、 「信州の悉平太郎(早太郎)はおるまいな」と 悉平太郎という人物を恐れている様子。 さっそく、信州の悉平太郎を探したところ、 光前寺に飼われている犬であった。 次の祭の日、悉平太郎を借り受けて娘の身代わりとすると 悉平太郎は怪物大狒狒と一晩中戦い続け、ついにこれを退治。 悉平太郎は傷つきながらも光前寺までたどり着き、 一声吠えて息絶えたとも、当社境内で死んだとも言われている。 |
現在、光前寺境内に墓があり、
当社境内後方のつつじ園に霊犬神社として祀られている。
参拝当時知らなかったので、残念ながら僕は霊犬神社へは参拝していない。
社頭 |
参道 | 鳥居 |
鳥居脇に悉平太郎像 | |
朱の鳥居から参道を北上すると、住吉神社がある。
参道脇には境内社の山神社。
さらに参道を100mほど進むと当社社殿がある。
大きな入母屋造の拝殿の後方に流造の本殿。
拝殿の変額には「見付天神」と記されている。
境内は広く、砂利が敷き詰められてとても綺麗、という感じ。
参拝は9月の休日で天気も良く、綺麗な青空だった。
創祀年代は不詳。
式内社・矢奈比賣神社に比定されている神社で
続日本後記には、承和七年(840)六月に奉授され、
三代実録には、貞観二年(860)正月に詔授されたと記されている古社。
当初は、北方の天神平(元天神)という地に鎮座していたが
いつの頃か、現在地に遷座したという。
正暦四年(993)、相殿に菅原道真を祀る。
当社の例祭には、裸祭が行われて有名らしい。
往古より、比佐麻利祭・比曾麻波里、火乎佐麻里・飛曾鞠などと記されており
静寂(物忌)を意味する「ひそまり」の意味か。
境内社には住吉神社、氷室神社・山神社の他に、
大神宮遥拝所が祀られている。
また、僕は参拝していないが当社北方のつつじ公園に霊犬神社がある。
境内の彼方此方に、梅鉢と菊花の紋が付されているので
当社の神紋は、梅と菊なのだろう。
梅は相殿の菅原道真に由来するものだと思う。
境内 |
拝殿 | 本殿 |
住吉神社 | 山神社 |
氷室神社 | 御池 |
大神宮遥拝所 | 境内にニワトリ |
国指定重要無形民俗文化財
見付天神裸祭
平成十二年十二月二十七日指定
矢奈比売神社は矢奈比売命 ・ 菅原道真を祭神とし、別名、見付天神
とも言われています。矢奈比売命は六国史に「矢奈比売天神」と記載が
あり、また、菅原道真を祭神として祀ったのは正暦四年(九九三)八月
十一日と記録があります。当神社に伝わる裸祭は旧暦八月十・十一日に行われていましたが、昭 和三六年(一九六一)からその直前の土・日曜日に行われるようになり ました。この祭は当神社の御神霊が遠江国総社・淡海国玉神社へ渡御す る際に行われる祭で、渡御に先立ち裸の群衆が見付地区内を練り歩き、 神社拝殿で乱舞することからこの名があります。 大祭は一週間前の元宮天神社例祭(祭事始)から始まり、見付地区の 清め(御斯葉おろし)、三日前の福田海岸における心身の清め(浜垢離)、 前日の社殿・境内等の清め(御池の清祓)と続き、大祭では御神霊の渡御、 翌日には御神霊の還御で一連の祭礼が終了します。 この祭は、厳粛な物忌みと心身の清めにより、 祭事を行うという、古代の祭儀の法を伝承して いるものと推定されます。 裸祭に参加する者は褌・草鞋・腰蓑を着けた いでたちをし、また、地区内の祭礼組織は古く からのしきたりが継承されています。 −境内案内板− 矢奈比売神社
矢奈比売天神社の創立年月は、詳らかではありませんが、延喜式内社に列しており、古くは市内元天神の地に祀られておりました。いつの時代にか現在地か奉遷されましたが、その年月は詳らかではありません。古記録によれば、続日本後記に承和七年六月(八四〇年)奉授、遠江国磐田郡無位矢奈比売天神従五位下とあり、また三代実録に貞観二年正月(八六〇年)詔授、遠江国従五位上矢奈比売天神正五位上と神階を授けられております。 相殿菅原大神は一条天皇正暦四年(九九三年)に勧請奉祀されております。慶長八年徳川家康より神領五十石が寄進されており、明治六年県社に列せられましたが、戦後はこの制度は廃止となりました。 −『平成祭データ』− |