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軽野神社
かるのじんじゃ
静岡県伊豆市松ヶ瀬字神田鍵取免79  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴


五三の桐

式内社 伊豆國田方郡 輕野神社
旧郷社

御祭神
八重事代主命

静岡県伊豆市にある。
伊豆半島の中央部のちょっと北。
伊豆箱根鉄道・修善寺駅の南西4Kmほどの松ケ瀬に鎮座。
狩野川の西側、136号線(天城街道)の側に境内があるが
道路を走っていても境内は見えない。

136号線から少し東、川の方へ入ると
松ケ瀬多目的集会場があるが、その正面に境内。
つまり、136号線と狩野川の間にある丘(石山)を背にして
狩野川へ面して境内がある。

参拝は、大晦日の朝。
東に流れる狩野川に面した境内は
朝日を浴びて光っていた。

境内の西側に大きな社殿があり
後方に神明造の本殿がある。
正確にはわからないが、社殿は北東向きだろうか。

創祀年代は不詳。

当社は、狩野郷全体の総鎮守であり
式内社・輕野神社に比定されている古社。

古来、笠離明神とも笠卸(はずし)明神とも称され
社前を通る人々は、神威を恐れて
笠をはずして通っていたという。

『日本書紀』に、
応神天皇五年(274)十月、
伊豆国に命じて船を造らせた。
長さ十丈の船が出来た。
試しに海に浮かべてみると、
軽くて、走るように進んで行く。
よって、その船を「枯野」と名付けたとある。

当社は狩野川流域に豊富にある
良質の船材・楠の集積地であり、
「枯野」を造った時も当社の神前で祭祀を行ったという。

ということは、
枯野(船)→軽野(社名)→狩野(川名)と
変化して現在の狩野川となったのだろうか。
あるいは、当社社号から船の名が付けられたのかも。

また、社殿背後の石山の山上に
小さな石祠が祀られているらしい。
この山は、川側にある独立した岩石の山で
この石山に神霊が宿るとの考えがあり
その石山の神霊を祀ったのが、当社の起源とも。

社殿の左手には御神木の楠と境内社が三つ。
社殿の右には、石祠が二つと丸石が祀られている。
丸石は鏡餅のように、三段重ね。
下の二つは餅のように、やや平らな石で
面白い形状だ。
石山信仰の名残だろうか。


松ケ瀬多目的集会場

境内

鳥居

川の側の境内

拝殿

本殿と丸石

本殿と境内社

三段重ねの丸石

軽野神社
鎮座地天城湯ケ島町松ケ瀬七九
御祭神事代主命
例祭日十月十九日
由緒
当社は延喜七年(九〇七)の延喜
式神名帳に軽野明神。伊豆国神階
帳(一三三〇頃)正四位狩野明神
とあり、応神天皇五年(二七五)
伊豆国に造船を科した際の造船所
跡とも、船材を樹る山口祭斎行の
場所とも云われる。この神社は又
笠離明神・笠卸明神等とも称され
古代この前を通る人々は神威を恐
れて笠を卸し敬意を表したためと
云ふ。延喜式神名帳所載伊豆国田
方郡二十四座の一社で、明治六年
二十ケ村の郷社に列せられた。

−境内案内−



【 軽野神社 (伊豆市) 】

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