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鳥墓神社
とつかじんじゃ
三重県多気郡明和町簑村字鳥墓
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式内社 伊勢國多氣郡 國生神社 |
多気郡明和町、県道鳥羽松坂線側、南側にある。
玉城町との境に近い場所の丘の上。
入口は、南にあるので、県道から回り込む。
真夏の炎天下、参道を歩いて、神域の森に入ると、
青面金剛の庚申堂がまず目に付く。その先に拝殿と本殿。
式内社・國生神社の論社であり、
同じく式内社・宇尓神社を合祀しているという。
式内社・國生神社に関しては江戸時代に、3つの論社があり、
江戸後期には当社が有力だったが、どれも確証が得られず、
「式内社調査報告」では、未詳社となっている。
國生神社の「國生」の読みに関して、従来から幾つかの説がある。
「クナリ」「クニナリ」「クナハ」「コフ」「クニフ」。
「クナリ」「クニナリ」とする説では、伊勢に多い国生神を祀り、
国生神は素盞嗚尊の別称とされている。
「コフ」「クニフ」とする説では、国府と同義とし、
鳥墓は、古代の神庤の古跡であり、
『神鳳鈔』に富墓御厨と記されている事から、
神税を収納する屯倉の神・倉稲魂神とする。
孝徳天皇の御宇に、その神庤が山田原に遷されたので
跡地に國生神社と宇尓神社が創建されたという。
合祀されている宇尓神社の祭神が埴安神。
ということで、祭神がこの3座となっている。
他の八柱は、明治に合祀された八柱神社の祭神。
江戸時代までは、天王社とよばれていたが、明治後、鳥墓と改称した。
明治の神社明細帳では、祭神は素盞嗚尊と天照大神。
その後、明治41年に素盞嗚命神社(今の明星神社)に合祀されていたが、
現在は、古社地に復興している。
とにかく暑くて堪らない真夏の炎天下。
伊勢参拝旅行の最終日だったため、体力も尽きた頃の参拝。
境内は木々が茂って、日陰なのだが、それでも暑い。
そんな印象しか残っていないのだ。
境内の庚申堂には青面金剛の石仏があった。
下の写真ではよく見えないが足元には猿もいる。
境内入口の鳥居 | 参道鳥居 |
庚申堂 | 青面金剛 | 参道 |
境内 |
拝殿 | 拝殿 |
本殿 |
鳥墓神社(別名天王森羽根美社) 由緒 式内国生神社 祭神 倉稲魂命 須佐之男命 式内宇爾神社 祭神 埴安神 人皇第十一代垂神天皇ノ御宇天照皇大神 五十鈴川上ニ御鎮座ニナリ宇爾郷鳥墓村 ニ神庤ガ置レ度會多氣ノ神郡ノ正税(稲穂) ノ徴収ガコノ地ニテ行ワレタ 孝徳天皇ノ御代ニ神庤ガ山田原ニ遷サレタノデ ソノ遺址趾ニ国生神社及ビ宇爾神社ガ創建サレタ 何レモ延喜の儀式帳ニノセラレタ古社デアル 後時代ハ不明デアルガ両社ノ名称ハコノ由緒 アル地名ヲトツテ鳥墓神社ト改メラレタ 明治十四年ニハ世古村ノ八柱神社ヲ當社 ニ合祀セラレテ今日ニ至ツタ −境内案内より− |