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須原大社
すはらおおやしろ
三重県伊勢市一之木1−3−6
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式内社 伊勢國度會郡 川原坐國生神社 |
三重県伊勢市にある。
伊勢市駅の西500mほどの一之木に鎮座。
豊受大神宮別宮である月夜見宮の西、道路を挟んで境内がある。
境内入口は、その道路に面して東向き。
鳥居をくぐると左手に手水舎があり、右手に南面して社殿がある。
拝殿は切妻造。拝殿内の扁額に「須原大社」と記され、
拝殿の奥に垣に囲まれて神明造の本殿。
境内の左手には須原稲荷神社が鎮座。
当社社殿と須原稲荷神社の間にも社殿があり、
社殿の前に木と石が祀られている。
『三重県神社誌』には境内社として稲荷社と並社(なろうやしろ)の名があり、
並社は石神を祀っているらしいのでこれだろう。
また石の前に「遥拝所」と刻まれた石柱が立っているが、
どこかの遥拝所でもあるのだろうか。
参拝は式年遷宮を終えた外宮参拝後の三月。
社殿の前に白梅が咲いていた。
創祀年代は不詳。
須原地区の産土神として尊崇された神社で、
かつては「大社」とのみ称していたらしい。
月夜見宮の境内に式内社・川原坐國生神社とされる高河原神社が寛文三年に復興されたが、
当社がその古社地であるとする説があるらしい。
神宮式年遷宮の古材の払い下げを受け、
神宮遷宮の二年後に当社の御遷座が行われるという。
ということは、今年(2015年)建替えが行われるのだろうか。
拝殿の幕に三巴の紋が染められていた。
『三重県神社誌』に当社の神紋は右三巴とある。
社頭 |
本殿 | 拝殿 |
境内 |
須原稲荷神社 | 並社 |
須原大社 由緒書き 当社は古来、「大社」とのみ称されていたが、近年「須原」の二字を加えて須原大社と唱えるようになった。 須原というのは、天福二年(一二三四)正月処分状によれば、「沼木郷山田村内の一地区」であり、既に天治元年(一一二四)に外宮禰宜に補せられていた度会高行を「須原の三」といい、その子忠行は、建仁二年(一二O二)に禰宜であったが「須原の長」とも称されていた。 このことからも、古くから須原の地名が存したことが判かる。 須原の邑の取部(地区)は、東は宮後田中世古豊川、南は中館表宮後利下之久保、西は大世古、北は一之木走下となっていた。 これは現在の氏子地域とほぼ重なっている。 即ち、当社の創祀については不詳であるが、往古より須原地区の産土神として奉祀とされて来た社であることが判る。 また、合祀祭神には、大山祗神(元社地宮後町)、木花開耶姫命(元社地大世古町北宮川)、菅原道真公(元社地本町)、菅原社(元社地一志久保町)、久保菅原社(元社地大世古町)、梅林菅原社、拝田社があり、現在に至っている。 尚、当社には、神宮式年遷宮に際して、御造営に伴う古材の拂下げを受て、神宮の還宮の二年後に、当社の社殿、鳥居等を造替する御遷座祭を執り行なうのが古例となっている。 −『平成祭データ』− |
【 須原大社 (伊勢市) 】