[HOME] > [神社記憶] > [東海地方] > |
|
大神神社
おおみわじんじゃ
岐阜県大垣市上石津町宮字街道194−1
|
||
式内社 美濃國多藝郡 大神神社
御祭神 |
岐阜県の大垣市上石津町にある。
関ヶ原駅から365号線を南下して10Kmほどの宮に鎮座。
上石津のトンネルを越えたあたりで、365号線から西へ入り、
村落内の道を進むと、道の西側に境内がある。
よって、境内入口は東向き。
境内には、数本の巨大な木が聳えている。
大神神社の社叢は、県の天然記念物らしい。
境内に入ると、正面に拝殿があり、後方に本殿。
本殿の左右に境内社が並ぶ形式。
境内は、砂利が敷かれており、サッパリとして印象。
参拝が冬の日だったため、冬枯れの雰囲気は仕方ない。
夏になれば、茂った葉によって、違う表情を見せるのだろう。
社伝によると、朱鳥六年(692)、
持統天皇の伊勢行幸の際に、伊勢三重郡に到着した時、
大物主神が、右大臣三輪朝臣高市麿に託して
「わが住む社を美濃国多芸山の川上に建てよ」
と仰せられ、この地を選んで創建されたという。
天延元年(937)近くの郁季山宮ヶ平に
神武天皇を祀る神社が創建されたが、
永久元年(1113)、暴風雨によって流出。
当地に流れ着いたものを拾い上げて、当社へ合祀したため、
流彦大明神と称したが、後、当社全体を流彦大明神と称するようになった。
往古は、上之山という山に鎮座していたが、
永和七年(1375)、現社地へ遷座。
一説には、火災により七堂伽藍が焼失し、
再建の資力がないため、当地にあった天武天皇を祀る社に遷したという。
明治になって、社号を大神神社へと戻し、
明治六年、郷社となった。
本殿の左には、赤い鳥居が並ぶ稲荷社。
右には、本殿の隣から神明社、愛宕社、秋葉社。
『式内社調査報告』には、秋葉社の変りに金刀比羅社が記されており、
明治十四年の『宮村略誌』にも、そのように書かれているらしいので、
最近、変えられたのかもしれない。
鳥居 | 境内 |
境内 |
社殿 | 社殿 |
本殿左の稲荷社 | 本殿右、神明・愛宕・秋葉 |
式内 大神神社御由緒
−境内案内より− |