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荏名神社
えなじんじゃ
岐阜県高山市江名子町1290
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式内社 飛騨國大野郡 荏名神社 |
岐阜県高山市江名子町にある。
高山駅から東へ2Kmほど、江名子川の側に鎮座している。
道路わきに鳥居があり、小さな橋を渡ると境内。
『式内社調査報告』では、御幣形の石の神橋と記されていたが、
参拝した時は、木の橋だった。
創祀年代は不詳。
式内・荏名神社の論社。
江名子の地名は、多くの荏を産するところから、荏野となり、
その奥の地として、荏野奥が変化したものらしい。
「荏」とは、「荏胡麻」の古名で、シソ科の一年草。
種子から油がとれるらしい。
中世には子安大明神と称されていたが、
式内・荏名(えな)が、胞衣(えな)と解釈され、
安産の神になったと考えられている。
文化12年(1815)、田中大秀が当社の再興し、
式内・荏名神社に比定した。
神紋は、「神鈴」。
珍しい神紋で、はじめて見た。
江戸時代、田中大秀の再建以後に用いられたものだろうが、
荏胡麻の種子をイメージしたものかもしれない。
由来は知らない。
境内入口 | 境内の鳥居 |
川の側に鎮座 |
拝殿 | 社殿 |
境内社 | 本殿覆屋 | 神庫に神紋 |
○岐阜縣飛騨國大野郡高山町大字江名子 郷社 荏名神社 祭神 高皇産霊神 荏名之大神 創建年代詳ならずと難も、延喜の制式の小社に列す、郎ち神名帳考證に、「荏名神社、大屋津姫命、美濃國恵奈 神社同神」と見え、飛騨國總社考に、「大野郡灘郷江名子村にまします、今稲置森といひ、中世子安大明神と申 よし、長谷川氏の飛州志に見ゆ、大秀按に、荏名を胞にとりて、安産を祈しなるぺし、こは大和國吉野の水分神 社をミコモリと訛て、つひに今は子守と申て、子をいのる神とまうすがごとし、古事記伊邪河宮開化天皇段に、日 子坐王聚二山代荏名津比賣一云々と見え、斐太後風士記に、荏名は高山より行に、守屋と稲荷との社前を過て、江 名子に入る村の口なり、今も此里人荏を多く作るに能榮え、又自然も生出づ、在名は名は借字荏野なりと云、其を 諸人の知らで社も衰廃たるを、飛州志に、稲置森子安神祠ありと記され、又里俗の荏野を胞衣なりと思ひ違ひ て安産を祈りしを、田中大秀吾師荏野翁いたく慷慨て、文化十四丁丑年此荏野神社を再建て、社傍に家を建て、高山 より引移り荏野翁と自號て、朝夕に神に斎仕てまつられしが、後其住れし家を高山へ引拂ひぬ」と見え、神祇 志料にも「今灘郷江名子村稲置森にあり、荒神宮と云ふ、清和天皇貞観九年十月庚子、従五位下荏名神に従五 位上を授く」と載せたり、其他神社覈録、特撰神名牒等盡く其説一致せり、今之を省く、是に由りて本社の概略 と窺知すべし、明治四年九月郷社に列せらる。 社殿は一宇にして神門あり、境内坪数四百六十坪(官有地第一種)を有す。 −『明治神社誌料』− |
【 荏名神社 】