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狹田國生神社
さたくなりじんじゃ
三重県度会郡玉城町佐田字牛コウベ322
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式内社 伊勢國度會郡 伊勢國度會郡 狹田國生神社 |
田丸駅の近く、北東500mにある。
外城田川の西。萱町バス停のそば。
道路脇に森があり、その中に鎮座。
内宮の摂社の一つで、
式内社・狹田國生神社に比定されている古社。
倭姫命が、天照大御神を奉じて伊蘇の宮から小河を遡った時
速河彦命が参上し、「畔広の狭田の国」と申して、佐々上神田を奉り
その地に、速河狹田社を定めたのが当社の起源。
速河というのは、当社の近くを流れる外城田川のこと。
外城田川は寒川とも呼ばれており、当社も寒川社と称された。
中世になって社殿・社地は失われたが、
寛文三年摂社再興のおりに、現在地に再興された。
祭神速河比古命・速河比女命の親神は、
同じく内宮摂社の棒原神社に祀られている。
社域の杜 | 参道 |
境内 |
社殿 | 社殿 |
『倭姫命世記』によれば、(略)倭姫命が皇大神を奉じて伊蘇の宮よ
り小河を遡られた時、速河彦命が参り、「畔廣の狹田の國」
と申して佐々上神田を奉り、その地に速河狹田社を定めた
のが当社の起源であると説いてゐるのである。 因みに速河比古命、速河比女命の親神に当たる須麻留女神は、隣接する田邊郡 に鎮座される皇大神宮の摂社棒原神社に祀られてゐる。 −『式内社調査報告』− |
【 皇大神宮摂社 狹田國生神社 】