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伊奈冨神社
いのうじんじゃ
三重県鈴鹿市稲生西2−24−2
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式内社 伊勢國奄藝郡 伊奈富神社 |
三重県鈴鹿市にある。
伊勢鉄道の鈴鹿サーキット稲生(いのう)駅の南西500mほどの稲生に鎮座。
参道入口は東側。稲生民俗資料館の前に
ステンレスだかチタンだかの、金属の真新しい鳥居が立つ。
参道は新川に沿って100mほど西へ延びており、
参道の途中、南側には七島池のある庭園。
七島池は弘法大師が一夜で造ったと伝えられ、
日本最古の「七島式庭園」らしい。
庭園を左手に見ながら進むと、右手に境内入口の鳥居。
丸い石橋の奥に南向きの大きな社殿がある。
拝殿の後方に、本殿があるのだが
木々の葉が茂っていて、屋根しか撮影できなかった。
当社の社号「伊奈冨」は、資料によると伊奈富とも書く。
読みは、「いのう」だが、「いなふ」とも。
崇神天皇の御代、天皇が霊夢の告を受け、
その勅旨によって、社地が選定され、創祀された古社。
あるいは、雄略天皇治天五年に、はじめて稲生神社大国道命の
神号を賜ったとも。
三代実録によると、貞観七年四月十五日従四位下に叙せられた名社。
当時は椿大神社(正五位下)よりも社格は上であった。
往古の神領は東は白子浜、西は国府、南は秋永、北は野町に及ぶ広大な領域であった。
本来当社は「大宮」・「西宮」・「三大神之宮」の三座が奉祀されており、
大宮には保食神、西宮には姫大神(豊宇賀能賣命・稚産靈神)、
三大神之宮には鳴雷神を祀り、それぞれ社殿があったようだが、
現在は、西宮・三大神ともに本社に合祀されている。
また、当社は中世以後、伊勢国の惣社として機能していたらしい。
当社を惣社と記した資料はないようだが、実際の惣社ということだろう。
参道入口の近く、参道の右手に
「米之宮 菩薩堂」と書かれた入口の奥に、菩薩堂。
弘法大師が当社に参籠の折、この菩薩堂を建立し、
三社の本地仏を祀ったという。
米之宮は、正式名を稲生大籾神社というらしいのだが、
菩薩堂にまとめられたのだろうか。
本殿の右手には、豊御崎神社。
明治41年に境内社八幡宮(品陀和氣命)に
境内や近隣の諸社が合祀されたため、祀られている神々は、
以下のように、むちゃくちゃ多い。
猿田毘古神、土御祖神、彌都波能賣神、石長比賣命、金山毘古神、
建御雷男神、大日靈貴命、須佐之男神、五男三女神、大山祇命、
大鷦鷯命、菅原道眞、徳川頼宣、天之御中主神、大日靈神、
伊邪那美神、天忍穗耳命、天御蔭命、大年神、大山祇神、
宇迦之御魂神、天神地祇、菅原道眞、八百萬神、天兒屋根命、徳川頼信。
同じ神が複数含まれているのは、同じ祭神を祀る周辺神社が合祀されたため。
資料によると境内には他に、七霊山須神社と山中箕大晝神社が存在するらしい。
七霊山須神社は、別名を七島神社というので、池の島にあるのかも。
山中箕大晝神社に関しては、残念ながら未確認。
豊御崎神社の横に、資料にはない天王社があるのだが・・・
参道入口 |
参道 | 境内入口 |
境内 |
社殿 | 本殿の屋根 |
社殿 |
七島池 | 菩薩堂 |
豊御崎神社 | 天王社 |
伊奈冨神社
−参道由緒板(原文ママ)− |