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朝熊神社
あさくまじんじゃ
三重県伊勢市朝熊町字桜木2566−1
神かぜに こころやすくぞ 任せつる さくらの宮の 花のさかりは
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式内社 伊勢國度會郡 朝熊神社 |
朝熊町の五十鈴川そばの丘の上にある。
桜が美しいらしい。
社前の中州には皇大神宮末社・鏡宮神社が鎮座。
階段を上がると同じような社殿が並んでいた。
境内には、朝熊御前神社があるということだが、
どちらかわからなかったので、内宮の神楽殿で聞いた。
境内奥、向かって右側が朝熊神社。
当社の創祀は、内宮が五十鈴川川上に鎮座した垂仁天皇二十六年の翌年。
「小朝熊神社」とも呼ばれた神社。
「朝熊」の社号については、諸説あり、
・弘法大師が求聞持法を山中でおさめた時、朝に熊が出現し夕に虚空蔵が出現したことによる。
・木花開耶姫の別名、葦津姫の名から。
・五十鈴川の下流の浅瀬である浅隈から。
当社は式内社・朝熊神社に比定されている古社で、
内宮第一の摂社。
元来、当地に鎮座していたかどうかは不明だが、
寛文三年(1663)、摂社再興にあたり、現在地に定められたという。
当社の桜は有名だったらしく、西行の歌に
神かぜに こころやすくぞ 任せつる さくらの宮の 花のさかりは。
丘の麓にある鏡宮神社は、寛文三年に御前社として再興されたが、
後に、鏡宮神社とは別に、朝熊社の西側に御前社が建てられた。
社域の丘 | 参道 |
境内 |
朝熊御前神社社殿 | 朝熊神社社殿 |
内宮第一の摂社である。この地の守護神で、五穀と水の神。
− 『伊勢の神宮百二十五社めぐり巡拝地図』− 本社の創祀は、『儀式帳』に「倭姫内親王御世 定祝」とあり、『世記』によればそれは、皇大御神が宇治の 五十鈴川上に鎮座せられた翌年、垂仁天皇二十七年に「小 朝熊嶺社造祝宛令坐、大歳神称是也。」と伝へる。そして この伝承は、志摩国の伊雑方上において奇瑞をあらはした 真名鶴の説話として、伊雑の地と密接な関連をもつて語ら れる。−『式内社調査報告』− |
【 皇大神宮摂社 朝熊神社 】