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武並神社
たけなみじんじゃ
岐阜県恵那市大井町森1101
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岐阜県恵那市にある。
恵那駅の南東1.5Kmほどの大井町に鎮座。
恵那駅から415号線を南下し、正家交差点から19号線を東へ。
阿木川にかかる恵那大橋を渡った場所、19号線の北側に境内がある。
境内入口は交差点近く、南西向き。
入口に「武並神社」と刻まれた立派な社号標が立っている。
参道を進み鳥居をくぐると、右手に赤い鳥居。
鳥居の奥に境内社の五郷稲荷(宇迦御魂命)が祀られている。
案内板によると大井村、東野村、永田村、正家村、中野村の五ケ村が崇敬した稲荷社だそうだ。
参道を進むと左手に手水舎。階段を上ると萱葺の社殿。
入母屋造妻入の拝殿の後方に、伊勢神宮の古材を用いた幣殿。
一段高い場所に本殿がある。
本殿の形式は入母屋造のように見えるが、流造の左右に屋根を付けたような感じ。
日吉造のようにも見え、なかなか美しいフォルム。
本殿の左に多度神社(天津彦根命)、右に神明神社(天照皇大神、豊受姫大神)が祀られている。
境内の左手奥に鎌倉杉の跡。
承久二年(1220)守護職新田四郎左衛門尉源義清(茄子田城主)の子・淡路守義綱が
鎌倉での勤務を終えて帰る時、鎌倉三将軍の廊堂の周辺のあった杉苗三株を持ち帰り、
社の東・北・西に植えたものだそうで、残っていれば樹齢八〇〇年近く。
拝殿の左手に大きな御神木があるが、植物に詳しくないので杉なのか桧なのかわからなかった。
創祀年代は不詳。
承久二年(1220)に再興された旧郷社。
鎌倉三将軍の神像が相殿に併祭されているという。
『明治神社史料』によるち、当社を「美濃神名記」にある
土岐郡の「正一位 酒波大神」とする説もあるらしいが、
根拠は「酒(さけ)」と「武(たけ)」の訓が近いからだとか。
鎮座地の郡も違うので信憑性は薄いようだ。
祭神は大己貴命、誉田別命、少彦名命。
当地は中山道の宿場町・大井宿であり、遠山庄と称された地。
一説に、当地の南10Kmほどにある武並山に祀られた遠山左衛門尉景村の霊神を勧請したものとも。
境内の右手には、秋葉神社(火之迦具土神)、
洲原神社(伊邪那岐命、伊邪那美命)、市杵島神社(市杵島姫命)を合わせた境内社。
さらに、七宮神社(伊勢大神、津島大神、鹿島大神、熱田大神、多賀大神、南宮大神、香取大神)があり、
水神社、山神社、道祖神なども祀られている。
社殿の屋根に笹竜胆の飾りが付けられており、
『全国神社名鑑』には神紋は「笹りんどう」と記されている。
境内入口と社号標 |
鳥居 | 参道 |
参道右手に五郷稲荷社 | 五郷稲荷社 |
拝殿 | 社殿全景 |
社殿 |
多度神社と本殿 | 本殿と神明神社 |
境内 |
秋葉・洲原・市杵島社 | 七宮神社 |
水神社、山神社、道祖神 | 鎌倉杉跡 |
国重要文化財 金幣社 武並神社
御祭神 大己貴命(大国主命) 縁結び 開運 家内安全 商売繁盛の神様 誉田別命(応神天皇) 学業 交通安全 厄除けの神様 少彦名命 病気治癒 薬 病害虫退治の神様 御由緒略誌 武並神社の創建は 千年以上も昔よりこの地に祀られたと伝えられています 旧記によれば承久二年(一二二〇年)この国の守護職新田四郎左衛門尉源 義清(茄子田城主)の子淡路守義綱が鎌倉での勤務を終えて帰る時先君の鎌 倉三将軍の廊堂の周辺のある杉苗三株を受領持ち帰り社の東 北 西に植え た(これが世に言う鎌倉杉である) 新田氏は 時の執権北条泰時公に十三郷の公税を免除を訴え泰時公の決断 で納税を免除これにより郷社として社殿は立派に修復された その後 数百年間時勢の変遷につれて栄枯盛衰社殿も興廃があり 永禄七年(一五六四)現在の様式社殿が造営された 寛文十二年(一六七 二)庄屋井口伊兵衛の献身的奔走と氏子の崇敬の念とによって大掛かりな社 殿修復がなされ朱塗りされたのもこの時で現在に至って居ります (平成元年国重要文化財指定) −境内由緒石碑− |