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八幡神社
はちまんじんじゃ
岐阜県中津川市阿木字大門前1415
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旧郷社 |
岐阜県中津川市にある。
明知鉄道阿木駅近くの阿木に鎮座。
駅の東側の狭い車道に「郷社八幡神社」と刻まれた社号標が立っており、
そこから東へ細い参道を上って行くと社域の杜がある。
参拝は十一月末の晩秋、曇天の日の早朝。参道の外灯がまだ灯っている頃。
写真を撮るには暗すぎるので、社前右手にある阿弥陀堂の前に車を停めて、
明るくなるのを待っている間に雨が降り出した、そんな朝。
参道階段を上ると広い砂地の境内。
境内左手に手水舎があり、正面の石垣の上に社殿。
拝殿は銅板葺入母屋造。後方の本殿は覆屋根の下にある。
拝殿には紅白の幕や笹龍胆が描かれた幕がかけられていた。
『平成祭データ』によると、十一月二十三日に新嘗祭、
大麻頒布式が行われるようで、その名残なのかもしれない。
当社境内右手側から山道を上って行くと、阿木城跡へ行けるらしい。
岐阜県神社庁サイトには、当社の由緒について、
「文明三年創祀。その他由緒記載なし。」とのみ。(文明三年は西暦1471年)
『明治神社誌料』によると、当社は
美濃國神名帳に「従四位上阿氣明神」、延暦寺本には「従四位上河氣明神」とあり、
恵那郡七社の一であるらしい古社。
阿木城は、遠山氏が岩村城防衛のために建てた遠山十八子城の一つ。
当社が阿氣明神であるなら、阿木城築城に際して、
阿氣明神の地に八幡神が勧請され、「文明三年」はその勧請年なのかもしれないな。
明治五年に社殿を改築し、翌六年郷社に列したとある。
当社の神紋に関しては、八幡神社なので三つ巴紋を使用しているのかもしれないが、
拝殿の幕にあった笹龍胆を載せておく。
『平成祭データ』によると当社の境内社は、
白山神社(菊理姫命)、若宮神社(仁徳天皇)、諏訪神社(建御名方神)、
山祇神社(大山祇神)、稲荷神社(宇迦之御魂大神)。
『明治神社誌料』には、上記の他に神明神社の名が載っている。
社頭 |
鳥居 | 階段上 |
境内 |
社殿 | 拝殿 |
社殿と境内社 |
本殿左の境内社 | 本殿右の境内社 |
境内右手から阿木城跡への道 | 阿弥陀堂 |