![]() |
|
|
都波岐神社 奈加等神社
つばきじんじゃ なかとじんじゃ
三重県鈴鹿市一ノ宮町1181

|
|||
式内社 伊勢國河曲郡 都波岐神社 |
三重県鈴鹿市一宮町にある。
鈴鹿駅の北3Kmあたり。
23号線一ノ宮町交差点から西へ500mほど、
そこから北へ入った場所に、南向きの境内がある。
鳥居の前には、都波岐神社と奈加等神社の社号標が立ち、
背後には大きな樹が聳えていた。
社殿は鉄筋。御垣の中に、中心の神明造の本殿と、
左右に境内社が立つ。
境内社は、小川薬王子社と神明春日社。
小川薬王子社は、式内・小川神社の論社だ。
だが、左右のどちらが小川薬王子社なのか、聞き忘れてしまった。
『式内社調査報告』では、「右小川神社、左神明春日社」と書かれているが、
向って右なのか、本殿から見て右なのか。
情報いただきました。この左右は「向って」だそうです。
つまり、本殿に向って右が小川神社、左が神明春日社。
本社は、都波岐神社と奈加等神社の合殿社。
創祀年代は不詳。
都波岐神社に関する由緒は不詳。
伊勢国一宮と称されている。(疑問とする説もあるが)
祭神は、猿田彦大神で、伊勢の地主神。
奈加等神社に関しても由緒は不詳。
一説には、雄略天皇23年に伊勢国造高雄束命が造営とする。
山部直広幡の女・多加屋姫に中筒男命が神懸り、託宣し、
都波岐神社・奈加等神社の二社を同時に造営。
祭神は中筒男命と天椹野命。
従来は、中筒男命一柱と考えられていたが、
現在は、中跡直の祖である天椹野命も祀られている。
境内社の小川薬王子社は、明治までは
中跡村無格社であったが、明治41年、
当社境内の八幡神社に合祀され、改称されたもの。
祭神は天宇受賣命。他にいくつかの境内社を合祀している。
青空の下、鉄筋の社殿が美しいが、やや寂しげ。
周囲に樹があまり無いのが原因だろうか。
境内入口 |
![]() |
鳥居 ![]() | 社殿 ![]() |
社殿 |
![]() |
本殿と左の神明春日社 ![]() | 境内の猿田彦大神石碑 ![]() | 本殿と右の小川神社 ![]() |
由緒
本社は延喜式内の古社で伊勢国一之宮である。本社はまた、雄略天皇二十三年に伊勢国造高雄東命が勅を奉じて創建し、中跡直廣幡が宣旨より初代の祭主となった。白河天皇より正一位の勅額を賜わり、花園天皇の正和年中に摂政藤原冬平の執奏により神伝記を天覧に供し、後小松天皇の嘉慶年中に征夷大将軍足利義満が富士登山の帰途当社に参詣して幣帛を供え社領を寄進した。織田信長が神戸、高岡の二城を攻略の際、本社は兵火に罹り社殿が消失した。その後、一柳監物の援助で社殿を復興し、明治三十六年に県社に昇格した。猿田彦大神を主祭神として奉斎、御神徳を慕って、全国から参拝者が絶えない。−『平成祭データ』− |
