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南宮御旅神社
なんぐうおたびじんじゃ
岐阜県不破郡垂井町府中2506
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岐阜県の垂井町にある。
南宮大社の北2Kmの府中に東向きに鎮座。
垂井駅の北西1Kmの場所。
相川の御幸橋を越えて、病院を過ぎると、
社域の森が見えてくる。
車道に面して、境内入口の鳥居が立ち、
鳥居の両脇には、「南宮御旅神社」と「白鬚神社」の社号標。
当社境内には、白鬚神社が遷座されている。
参拝は冬の休日の午後。
陽が傾きかけた頃で、逆光の中の参拝。
砂利が敷き詰められた境内の奥に並ぶ社殿が
ちょっと眩しかった。
社殿に向って、右手が当社・南宮御旅神社、
左手には白鬚神社が並んでいる。
創立年代は未詳。
当社境内の森が、美濃国府跡だったらしく、
美濃国総社と考えられる神社。
現在は、美濃国一宮である南宮大社の摂社で、
南宮大社の神輿が、禊の川渡りとして相川を越え
当社へ御幸する古儀により、御旅所と呼ばれるようになったという。
南から見た社域の森 |
境内入口は東側 |
白鬚神社社号標 | 鳥居 | 御旅神社社号標 |
境内 |
白鬚神社 | 御旅神社 |
南宮御旅神社由緒
國司の時代から守護の中世の代になると國府招神の古儀を承けて 南宮神の神幸は華麗なる母衣花に飾られ神輿三基は 相川の 清流に禊の川渡りを行い御幸道を走り込みに依って参向した 在庁の 守護代諸役人を初め郷人等がこれを迎えて奉拝するを恒例とする内 当社は次第に南宮神の御旅神社と仰がれるに至った 寛永十九年(一六四二)徳川家光公は春日局の諸願成就奉謝の 願いを入れて南宮社と旧に復して再建した時、当社も深き神縁に 依って造営の栄に浴した。以来将軍寄進の栄光を仰いで、その 社構は堅く守られて現本殿に伝え残された 悠遠なる古代より神祭勤仕怠らず父祖相承けて守り来た中に 近時広大なる境内を玉垣を巡らして囲み、両社本殿も更に瑞垣を 以って齋い樹てるに至った、これは正しく全氏子等の厚き崇敬の結晶で あり永く後代に讃え伝えらるべき功業である 茲に謹みて改まる平成の御代の御大典斎行の年を迎えて 心を新たにして益々祭祀を厳修し御神徳の弥栄を祈り奉る 例祭 四月五日 神幸祭 五月五日 白鬚神社由緒
以来両社相並んで鎮祭され御神徳益々顕揚されて今日に至る 例祭 四月五日 −境内石碑より− |
【 南宮御旅神社 】