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月讀宮
つきよみのみや
三重県伊勢市中村町
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式内社 伊勢國度會郡 月讀宮二座 荒御魂命一座 並大 月次新嘗 |
五十鈴川駅の南、御幸道路と23号線に挟まれた場所にある。
西から、皇大神宮(内宮)の別宮の四宮が、
伊佐奈彌宮・伊佐奈岐宮・月読宮・月読荒御魂宮と並ぶ。
境内東には葭原神社が鎮座。
23号線側(東)から境内に入ると右手に葭原神社がある。
どうやら、御幸道路側(西)が表のようだ。
[追記]
最初の参拝は2000年だったが、
2013年に伊勢神宮内宮、外宮の式年遷宮が終了。
2014年に新しい神宮へ参拝した際に、月讀宮にもお参りした。
月讀宮の遷宮は2014年11月に予定されており、
境内では新しい社殿の建造中。
現在の社殿の前方の敷地にテントで覆いがされて工事は見えないようになっている。
葭原神社は、皇大神宮の末社で、式内社・荻原神社に比定されている古社。
祭神は、大歳神の御子・佐佐津比古命、宇加乃御玉御祖命、伊加利比賣命。
一説には、倭姫命によって、天照大神が佐々牟江宮に坐した時、
白鶴の奇瑞があったため、創祀された八握穂社が、当社であるという。
中世には廃絶していたが、明治六年、現在地に再興された。
駐車場側境内入口 |
皇大神宮末社葭原神社、2014年3月現在 |
皇大神宮末社葭原神社、2000年当時は右にあった |
葭原神社 田畑を守護する五穀の神様。 − 『伊勢の神宮百二十五社めぐり巡拝地図』− 当社は、皇大神宮(内宮)の末社であり、『皇太 神宮儀式帳』に記されてゐる「管度會郡神社」四〇處のう ち、「未レ入二官帳一社十五處」も一社である。 (略)当社は、倭姫命が祝ひ定めた神社である。次いで、当社は、前述の如く天安二年に官社に列したゐる。 −『式内社調査報告』− |
左から、伊佐奈彌宮・伊佐奈岐宮・月読宮・月読荒御魂宮。
参拝順は、月読宮→月読荒御魂宮→伊佐奈岐宮→伊佐奈彌宮が正しいと説明にある。
伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮には足場が組んであり、作業をしていた。修繕作業か。
月読宮と月読荒御魂宮は、式内社・月讀宮二座に比定されている古社。
創祀年代は不詳。
仁寿三年(853)洪水により社殿が流出し、
斎衡二年(855)現在地に造立された。
旧社地に関しては、現在地の北方、久世戸坂下の二光の森という地だったという。
ただし月読荒御魂宮は月読宮に付随する小殿であったらしく、その後衰微したが、
明治六年、現在のように月読宮と並んで祀られるようになった。
伊佐奈岐宮と伊佐奈彌宮は、式内社・伊佐奈岐宮二座に比定されている古社。
奈良朝の創祀と伝えられ、
『続日本紀』に、宝亀三年(772)「荒御玉命、伊佐奈岐命、伊佐奈彌命、入二於官社一」とある。
月読宮同様、仁寿三年(853)洪水により社殿が流出し、
斎衡二年(855)現在地に造立された。
ただし伊佐奈彌宮は伊佐奈岐宮に付随する小殿であったらしく、その後衰微したが、
明治六年、現在のように伊佐奈岐宮と並んで祀られるようになった。
月読宮 月読尊 | 月読荒御魂宮 月読尊荒御魂 |
伊佐奈岐宮 伊弉諾尊 | 伊佐奈彌宮 伊弉冉尊 |
西側表参道入口 |
鳥居 | 参道 |
境内奥に現社殿があり、その前方の敷地に新社殿を建造中(2014年3月現在) |
月読宮 倉田山から楠部の坂を下り、近鉄線ガードをくぐりぬけると、左方にこん もりと繁った森が見える。これが皇大神宮(内宮)別宮の月読宮である。外宮内宮循環 バス利用の場合、バス停留所「中村」で下車、北へ五十 メートルもどると月読宮参道入口に達する。(また近鉄利用 の場合は、近鉄五十鈴川駅下車、東南へ徒歩十分) 神杉の繁った長い参道を進むと、つきあたりに手水舎が あり、そこから左折すると御前に至る。ご社殿は四宮が並 び、南面してご鎮座になっている。向かって一番右から順 次、宮名とご祭神を申し上げると
すでに参拝してきた月夜見宮、倭姫宮と同様、月読宮宿衛屋には、神宮の神職が常時在 勤奉仕していて、御神楽や御饌のお取次ぎ、また神札、お守りの授与、参拝証印のお取 扱いをしている。 −『お伊勢まいり』− |