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鳥坂神社
とりさかじんじゃ
三重県伊賀市甲野字石神1301
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式内社 伊賀國山田郡 鳥坂神社 |
三重県伊賀市にある。
大山田支所の北東1Kmほどの甲野に鎮座。
道路から参道をまっすぐに北へ進むと、赤い欄干の橋があり、
小川を越えた先に社域の森がある。
白い鳥居をくぐり、境内の参道を進むと正面に拝殿。
拝殿の後方には、流造の本殿がある。
曇天の秋の日の参拝。写真も精彩がない。
冷たい風を受けながら参道を歩く。
周囲を歩いている時と違い、境内は明るい印象。
境内に入ると暑さ寒さを忘れてしまうようだ。
創祀年代は不詳。
社伝によると、大日孁貴命は当地の産土神で、
武内宿禰は村民の祖神。
さらに、愛鬘命(勝手明神)は、近江国三津村源三郎の祖先が当地を開拓した時に、
当社の相殿に祀った神。
近江(滋賀県)三津町に、勝鳥神社が鎮座しているが、そこから勧請したものだろうか。
勝鳥神社(祭神・天稚彦命)の由緒では、
天稚彦命が死んだ時に、下照姫命の兄(アジスキタカヒコ?)が
三津にほおむり勝鳥石を立てたという。
『式内社調査報告』では、勝手明神の勧請は、それほど古い時代ではないとあるが、
勝鳥神社から、鳥坂神社へ勧請されたとされる愛鬘命には何か因縁を感じるのだが。
明治になり、水神社・津島神社・彌五郎殿・山神社・冨士社・若一神社を合祀。
古社地は、当地の東2Kmにある鳥坂山の麓にあったが、
天正9年、兵乱のため、現社地に遷座した。
本殿には、蔦の神紋が付けられていた。
蔦紋は、伊勢津藩主・藤堂家が使用していた家紋。
だが、勝手な想像を加えるならば、
蔦の字は、草冠に鳥と書く。鳥坂神社の鳥を意識したもの、
あるいは、祭神の愛鬘命の名から、鬘(かづら)・蔓草となったとも。
鳥坂の鳥を鶏とすると、古代から、鶏は朝を告げる破邪の意味があるが、
鬘は、伊弉諾尊が黄泉からの呪的逃走の際に用いた、
三種の呪具(鬘・櫛・桃)の一つであり、同じく破邪と解釈できないことは無い。
社号標と参道 | 参道 | 社号標 |
境内入口 |
参道 | 社殿 |
本殿 |