[HOME]  >  [神社記憶]  >  [東海地方]  >
メニューを消去する。ページを印刷するために。 印刷用ページ


五郷社
ごごうしゃ
愛知県知多郡阿久比町大字植大字森後38  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 尾張國知多郡 阿久比神社(参考)

御祭神
素盞男命

知多半島の付根部分中央部の、愛知県阿久比町にある。
名鉄河和線植大駅の西1Kmの植公園の中。
権現山とよばれる小山の上に鎮座。

南側道路に入口の鳥居が立ち、参道の階段を登ると公園。
その公園の西隅に社殿が立っている。

創建年代は不詳だが、
社伝によると、菅原道真の左遷の時、
智多郡に流された子・英比丸によって
英比谷五郷(宮津、卯ノ山、植、稗ノ宮、福住)が開かれ、
天徳2年(958)、英比丸の五男新美兵衛丈菅原道信によって
向山村に祀られた神社。

社名の「五郷」は、英比谷五郷の中の第五の郷に祀られたかららしい。

権現山に鎮座し、以前は、権現社と呼ばれていた神社で、
祭神は、素盞嗚尊

『半田町史』などでは、式内・阿久比神社の元社とされているらしい。

入口の鳥居横に、狐の彫刻がある。
新美南吉の童話『ごんぎつね』の住んでいた山がこの山だそうだ。

いたずら者の小狐『ごんぎつね』が、
鰻を捕っていた兵十の鰻を盗んでしまう。

その後、兵十の母が亡くなった事を知り、
自分と同じく一人ぼっちになった兵十に
悪いことをしたと後悔した『ごんぎつね』は、
毎日、山から栗や松茸を届けるようになる。

毎日、栗が届けられることを不思議に思っていた兵十は、
ある日、自分の小屋に入っていく『ごんぎつね』を見つけ、
また、盗みに来たと思い、猟銃で撃ってしまう。
『ごんぎつね』の傍らに、栗が置かれているのを見て、
栗を届けてくれていたのは、この『ごんぎつね』だと気付く。

そんな話。その後、『ごんぎつね』は死んでしまったのだろうか?

『ごんぎつね』の全文は、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で読むことができる。


鳥居

参道

ごんぎつね

境内

拝殿

本殿

五郷社
 五郷社は、「素盞嗚命」が祭神となっている。創建年代は明らかではないが、 天徳2年(958)に菅原道真公の子孫が祀ったといわれ、寛永16年5月(1 639)に造営したと伝えられており、昔から地元の人々は、「権現さん」と呼 び親しまれている。
 五郷社の名称の起こりは、英比谷に五つの郷が開かれた時に、植村もその一つ であったという伝承に基づいており、明治5年(1872)に神社調査の届出に 記載された時からといわれている。それ以前は「権現社」といわれていた。
 この辺りは「権現山」と呼ばれ、童話作家の新美南吉の代表作の一つである 『ごんぎつね』の背景となっている。自然に恵まれた地域で、昭和59年(19 84)に五郷社境内は「植公園」となり、人々の憩いの場となっている。

−社前案内板−


社名五郷社
祭神素盞嗚命と伝えらる
祭礼旧暦八朔
沿革 往古英比五郷の総鎮 守の社ともいわれ、 権現社と称した。天 徳二年(963)創建さ れたという。最古の 記録は暦応二年(一三 四二)と記された棟札 が現存している。こ の神社のご神徳は偉 大にして、霊験灼な るものがある。

−境内案内−

*年号等に数年の間違いがあるが、オリジナルのまま記載した。


【 五郷社 (阿久比町) 】

ボーダー




東海地方
japanmap
全国 北海道・東北地方 関東地方 甲信越地方 北陸地方 東海地方 関西地方 中国地方 四国地方 九州・沖縄地方
愛知県

静岡県
伊東市
伊豆の国市
伊豆市
下田市
賀茂郡 河津町
賀茂郡 松崎町
賀茂郡 西伊豆町
賀茂郡 東伊豆町
賀茂郡 南伊豆町
掛川市
湖西市
三島市
周智郡 森町
駿東郡 清水町
駿東郡 長泉町
沼津市
焼津市
榛原郡 吉田町
静岡市 葵区
静岡市 駿河区
静岡市 清水区
田方郡 函南町
島田市
藤枝市
熱海市
磐田市
浜松市 中区
浜松市 西区
浜松市 北区
浜松市 天竜区
富士宮市
富士市
牧之原市

岐阜県
安八郡 安八町
安八郡 神戸町
安八郡 輪之内町
羽島市
加茂郡 東白川村
加茂郡 白川町
岐阜市
恵那市
高山市
大垣市
中津川市
飛騨市
不破郡 垂井町
揖斐郡 大野町
揖斐郡 池田町
揖斐郡 揖斐川町
養老郡 養老町

三重県
伊賀市
伊勢市
桑名市
志摩市
松阪市
多気郡 多気町
多気郡 大台町
多気郡 明和町
鳥羽市
津市
度会郡 玉城町
度会郡 大紀町
度会郡 度会町
名張市
鈴鹿市